ジャズピアニスト Nori OchiaiのBlog

音楽、その他を通して日々感じる事や活動状況。

ステージ上での暴力肯定する人達に

多く見られる意見で、「彼は音楽も一流で人間も一流、だから問題無い」
というのがあります。

でも違うケース、もし音楽も人間も一流と認めない人間が子供に手を出した時はどうなのか?
多分否定するのでしょう。

とすると、彼ら一人一人がジャッジみたいなもので、この人の今回はOK、あの人はダメ、というように、いちいち何か起こる度に、判決をくださなくてはいけないという事で、彼らのセンスが判断基準になのだろうか?
 

それにしても

梅内さんの表現で特に


音楽家としての創造力がないままに「記念写真」を撮って満たされてしまう「スタイル」のヴォーカリスト

と、

果てることなく続き、このまま止めないで欲しいと心が欲していた 


という表現に魅かれました。

前者は、あ、そんなスタイルがあったのか、と思わされつつ、これ以上ない的確さで、
後者はとても官能的で男冥利につきます!  

改めましてありがとうございます!
 

体罰の例外?

一流の演奏家、人格者で愛情もあって親子みたいな関係なら子供を少しぐらい殴っても許される、正当防衛など、正当とされてる理由が無くても殴ってもいいなら、 

同じように 人格者で自分に厳しく判断力もしっかりした人なら飲酒運転もいいという事になるのではないだろうか?事故しなければ全然オッケー、という事になってしまわないだろうか? 


梅内智さん、リビュー2


Instagram投稿用にアップした昨夜の「Nori Ochiai(p) Trio with 2vo」の内容についてもうちょっと踏み込みたかったのだけど、スペースの都合上省かざるを得なかった。
特に、トリオによるインスト4曲はどれも印象に残った。

オープニングの“You're My Everything”がまた好かった。
ジャズだと真っ先に浮かぶインストの名演は、フレディ・ハバードのBN4115番(60年代前半)だろうけれども、個人的には映画『The Eddy Duchin Story(愛情物語)』のサントラである。
30年代から40年代にかけて「Sweet Jazz」と称されて一世を風靡したピアニスト、エディ・デューチンの生涯を追った音楽作品。私はこの映画が好きで、学生時代から何処かの名画座でかかる度に観に行っていた。女のコもよく誘い、その度に、映画館の中で泣かせていた。
実際のエディ・デューチンの録音(CD)も以前持っていたが、彼のビッグバンドに男性ヴォーカル入りで収録されていたかと思う。

映画のサントラはカーメン・キャバレロ。ジャズではないが、私にとっては相当に思い入れの深いヴァージョン。

昨夜のピアニスト、Nori Ochiaiさんは素晴らしいライヴの幕開けに、「今夜はこんな素敵な共演者と演奏しますよ」といった趣きで弾いていた。こういったライヴの場合、オープニングの曲で各々のソロ・プレイを通して紹介するのだが、昨夜のピアニストは、ウッドベース、ドラムスにソロを回す前にピアノのタッチに一工夫為されていた。殆んどを両手のコード弾きで通していたのである。その間、意識は他の二人の共演者に向けられていた。自ずと、ベーシストとドラマーのプレイがクローズアップされることとなり、ソロが回る前なのにとても印象に残った。そして、その間、私の頭の中ではメロディがずっと鳴り続けていた。
その15分もの演奏が、二人のミュージシャンの紹介を兼ねると共に、この夜の創作姿勢やヒューマニティをとても感じさせた。
そして、続いて演奏されたのが、故井上修一おーなーに捧げた、“Never Let Me Go”だった。“You're My Everything”が前奏曲としてあったから、この曲の15分は心に染み入った。
素晴らしい幕開けの選曲だった。

このカーメン・キャバレロの演奏には、往年のハリウッド名優・名華の美しい姿が添えられている。
ロマンティシズムに浸りたくなる秋の夕刻の3分、しばし御堪能あれ。

サテンドール、リーダーライブ終えて

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昨晩は多くの方にお越しいただいて、熱く応援していただき、温かく見守っていただいて、心よりありがとうございます。おかげさまで、メンバー全員で、おもいっきりチャレンジしながら楽しい音で遊ぶ事ができました。
自分の予想も裏切られるくらい楽しかったです。
店長をはじめ、スタッフの皆様のとても心強いサポートありがとうございました。

お越しくださっていたライターの梅内智さんが、とても励みになる、今後の力になるリヴューを書いてくださったので、ここでシェアさせてください。ありがとうございます。




Nori Ohiai Trio with LiLi&堀内美智代:Nori Ochiai(p), Mark Tourian(b), Gene Jackson(ds), LiLi(vo), Michiyo Horiuchi(vo), at 六本木『サテンドール』/Sep. 5, 2017】

5日(火)、Nori Ochiaiさん(p)のリーダー・ライヴを六本木のジャズ・レストラン『サテンドール』に初めて聴きに行く。7月にサックス入りのカルテットで同店初めてのリーダー・ライヴをやってから2度目の出演。今回はピアノ・トリオwith2ヴォーカルという編成。
Nori Ochiaiさんは、2005年、(それまでのキャリアをゼロにして)単身NYCへ渡り、名門のニュースクール大学にて奨学金を得てジャズ・ピアノの研鎮を積む。以降、多くの本場のミュージシャンとライヴやレコーディングで共演(そのリストに、Jose JamesやUlysses Owensの名があるのにニヤリ)。リーダー作も発表。10年後の2015年6月に帰国し、以降、都内のライヴ・シーンで活動中。
が彼に興味を持ち出したのは今年。そのブログで日本の女性ジャズ・シンガーについて忌憚の無い意見を発しているのを知ってから。私自身、ここ数年、日本の女性ジャズ・ヴォーカルについて色々と思うことがあった。文化(質の向上)を不毛のものにしているのではないかと危惧するような夜な夜なのライヴの消化(自己満足傾向)。どの(顔合わせの)ライヴでも同じようなアプローチしか出来ない、「大御所」と共演しても(自分ペースの)歌い易く演奏してくれることを「楽しい」とし、実力と経験を兼ね備えた共演者の魅力を引き出せない、つまりバンド全体の魅力を引き出す能動的なサポート力、音楽家としての創造力がないままに「記念写真」を撮って満たされてしまう「スタイル」のヴォーカリストには些か辟易してもいた。プロとしての精神性もセンスも対応力も含めて、抜きん出た人が一人でも多く顕れて、その姿勢こそが真っ当に評価されて欲しいとずっと思ってきた。

今回のピアノ・トリオwith2ヴォーカルでのライヴに関して、リーダーのピアニストは事前にこんなPRをしている。
「ワールドクラスのリズムセクション、実カ、ミュージシャンシップも素晴らしいヴォーカリストのお二人と、“歌と伴奏”ではない、楽しく面白いジャズ」。「ヴォーカル好きの方、インスト好きの方にも、思いっきりお楽しみいただける」。そして、「みんなで気楽に真剣に楽しみましょう」とも言ってくれた。これは行くしかないでしょう。
そして、Nori Ochiaiという音楽家はNYで培ったスピリッツとセンスを共演の素晴らしい外国人ミュージシャン二人と見事に具現化し、リーダーの「どんなライヴにしたいか?」という声(姿勢)にヴォーカリスト二人が見事に応えた。ヴォーカル入りのジャズ・ライヴの理想形を見た思いがする。Nori Ochiaiさんの「対等に、一緒に、音を作りながら楽しんで」いく姿勢にヴォーカル入りライヴの可能性も見た気がする。
多くのことを気づかせてくれた、密度の濃いライヴ。(二日連続となった)“Left Alone”(by 堀内)や(もう何年も女性ジャズ・ヴォーカルのライヴで聴いてないような)“Good Morning Heartache”(by LiLi)のような「暗い歌」がどれ程傾聴に値し、場の空気をひとつ(密)に出来、真っ当に評価されるか。女性ヴォーカルがマイクを持って並んだ時のスキャットの応酬が(自然で確かな程に)ライヴの現場でどれ程魅力的な持ち味となるか。ピアニストの演奏が教えてくれる強弱記号「p」の魅力が、ヴォーカリストのパフォーマンスにも共鳴することにより、どれ程ジャズ・ライヴにメリハリを与えてくれるか。リーダーの人間を見る眼差しが集団創作にとってどれ程重要か。等々。
楽器奏者3者の演奏はヴォーカル入りも含めて、唸らされ、魅了される場面多々だった。特に、後半セット最後の方の“Take Five”。変拍子を更に拍子を変えての演奏。「ジャズ史上最強」と謳われたコルトレーン・カルテットの神がかったライヴ演奏の再現のような陶酔感がいつ果てることなく続き、このまま止めないで欲しいと心が欲していた。対峙するピアニストとドラマーの激しい応酬の間に在る(顔を紅潮させた)ベーシストの左右の指の激しい動きにひたすら目を凝らそうとするのだが、視線は右にも左にも向いてしまう。ピアノ・トリオだけでのここまで創造的な“Take Five”を聴くのは初めてだし、今後そうはないような気がしている。 

満足度の高かったライヴ。同店でのNori Ochiaiさんの次回のライヴに早くも期待が高まる。

謝ったからもう解決でいいのか

今回の件は報道されてるが正しく、本当に解決である事を祈るけど、

子供が殴られても、報道をただ信じて「子供が謝って反省してるからからもう解決、問題無し、もう騒ぐのはやめましょう」と簡単に言えてしまう大人が多くいる限り体罰のみならず、いじめ、セクハラなどを無くすのは難しいかもしれないと思わされます。

いじめに対して声をあげれずに死んでいった子供達、セクハラに耐える事しかできなかった女性達。
担当の先生も、「いじめられてたとは、本人も言ってませんでした。」
今までこんな事があるの誰でも知ってるでしょう。

弱いものがパワーのある人間、権力に逆らえず声をあげれないかもしれないなんていう想像力は1ミリも働かない、想像力の欠如した大人が多い事に愕然とするし、本当に恐ろしさ感じます。



 

本来は法律でも禁じられてるような行為

に対して、議論の余地はないはず。
例外とされるのも正当防衛、緊急避難の必要性がある時で、勝手で長すぎるドラムソロ、どんなに悪くとっても、暴力が必要、止むを得ない、とされる条件には程遠い。生徒本人が謝ろうと、ふてくされようが関係ない事です。

昔は、というよく聞く意見ですが、分かりやすい例でいえば、
昔は、多少飲酒してみんな運転していた。だからいいのか?

飲酒運転による酷い事故がいくつかあって、ルールが厳しくなったのだと思う。
割合でいえば、圧倒的大多数の人が(優良?)飲酒ドライバーで、多少のお酒を飲んで事故も起こさず運転していたのだと思う。でも、悲惨な事故による犠牲者の事を考え、例外無く厳しくしたのでしょう。
もし100パーセントの人が優良飲酒ドライバーだったとしたら、みんながお酒飲んで運転できる。

体罰もある意味似てるのではないかと思う。
確かに日本では世界的なプレイヤーとリスペクトされ、絶対的に信頼されている人なのだから、子供を殴っても大丈夫なんだ、という人がいるのも分かる。実際本当に600人の前で髪引っ張られ、往復ビンタされても、心に傷を全く持つ事も、トラウマを持って生きて行く心配もない事もあるのかもしれない。

ただ世界的プレイヤーも人間なので魔が差す事はあるかもしれない。どんなに体罰するプロで、豊富な経験があったとしても、もし一歩間違って、殴り方の判断や、冷静さを欠いたりしたら、子供の精神状態がたまたま不安定な状態だったりの場合、 最悪の事態の可能性もある。

飲酒運転のように、殆どの場合は大丈夫だとしても、万が一の犠牲のリスクを排除したい、という事なのだと思う。事故しなければOKではなく、飲んだら運転してはいけない、と決まってる。それがルール。
この先生は体罰OK、この生徒に対してはOKなどとライセンスを与えるなどという事もできない。だから正当防衛、緊急避難の必要性がある時以外の ”時には暴力も必要” は認められていないのではないか、と思う。




 

昔は違った

確かに昔は厳しく叱る人、殴って教える人、本当に教えられる人もいたのでしょう。また書こうと思うけど、自分も体罰は受けたけど、それは悪くなかった。自分にとっては先生が素晴らしかったから。

でも、現在法律で正当防衛、緊急避難を除いて体罰は禁止されてる。だから昔は〜、はどうでもいい。
男尊女卑で不当な女性の扱いを認めらている国もあるかもしれない。でも、今の日本は昔でもよその国でもない。今の日本の法律を受け入れる事ができないなら、もっとふさわしい場所で生きるか、政治家になって法律を変えるしかない。

家族のルールに不満なら家を出るしかない。
誰でも多少は法律、社会のルールに不満はあるかもしれない、でも大勢の人間が共同生活をするならルールを守らないといけないでしょう。

報道の鵜呑み

殴ったりした映像や、本人がインタビューで話した、言葉、表情などは、切り取りはあったとしても、少なくてもその瞬間は真実でしょう。


例えば、報道によると、ドラムの子が反省して謝った、だから解決です。というような意見に対してですが、

そう報道されているけど、それが本当に間違い無い事で鵜呑みにしていいのか。
誰の圧力、脅迫も無しに心から悪いと思っているのか、何百人の前で髪引っ張られたり、殴られたりしたて、恐怖感もあったり、精神的に不安的な状況でとにかく謝ったのか、などは分からない。
もしくは実際は謝ってないのに、そう報道される可能性もゼロではないでしょう。

夢中になり過ぎてソロをやめる事ができなかった、スティック取られて投げ捨てられても手で演奏し続けたような子が、終了後に急に「これからこのイベントが続けられなくならないで欲しい」、というような、まわりの子達の事、イベント全体の事まで心配するような、大人な発言できる事に相当な不自然さを感じました。まるでこのイベントの存続を心配する違う立場の大人を代弁するかのような。勿論これは自分が感じる、というだけの事で決めつけられないですし、事実は分からない事です。

だた、謝ったという報道を鵜呑みにして「謝ったから問題ない」のような意見はあまりに安易に感じられてしまう。

勿論、謝った場合はOK、訴えた場合はアウト、という問題でも無いと思いますが。


極端な例で言ってみれば、北朝鮮の政府関係者なら、上からどんなに理不尽な仕打ちしがあっても謝るでしょう。

極端とは言いましたが、日本も、権威あるところ、知名度や政治力などパワーのある人に右ならえ、大多数の大人達が一斉に暴力を擁護し、詳しい事情も知られてなく、生の声も届けられない立場の子供をまるで犯罪者のように攻めたてるような、今回の件に限らず、似たようなシーンを頻繁に見せられると、あまり遠くないのかな、とも思わされます。







 

文化、音楽的にも

今回の件は本当に日本的だな。
褒めるところと注意、怒るポイント、割合が真逆。
どちらが本物のいいジャズを演奏する人間に育ち易いかは明白だな。
いいところをどんどん伸ばすアメリカと、ダメなところをとことん追求する日本。 
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