ジャズピアニスト Nori OchiaiのBlog

音楽、その他を通して日々感じる事や活動状況。

2014年07月

最大の敵

にも最大の味方にもなれるのが自分自身なんだろうな。

最近街では

ノーブラはあたりまえ。ほとんど裸に近いようなかっこうの人が多い。胸にただ簡単な布きれをはっつけてるだけのようなものまで。日本だとありがたいかもしれないが、ありふれてしまうと、エロさのかけらもない。 ちょっと下がりぎみの物体が揺れる様子はちょっとノスタルジックな気分にさせられる。

音の中の運命


これは、大昔聴いて衝撃を受けたジネットー•ヌヴーというヴァイオリニストの演奏。
若くして、この録音の3年後くらいに飛行機事故で亡くなってしまったらしい。曲自体がかなり強烈な悲壮感のかたまりなのかもしれないけど、聴いていてかなりつらくなってしまうくらいの演奏。

この間のDoug Carnのアルバム、Jean Carneの歌も、その後2人が幸せにならない、という事にうなずけてしまうようにも聴こえる。
それとも、それを知って聴くからそう聴こえてしまうのか?


書道家が見ると、筆跡からその人の人間性、人生経験、現在のコンディションなどが分かる、という話を聞いたことあるけど、もしかしたら、演奏にも
その人の過去、未来などの予感(本人も知らないとこで)も詰まっているのでは、、、と思わされる事がたまにある。





コンテンポラリージャズギター


も、強烈の人が出尽くしてしまってる感じでジャンルとしてかなり熟してると思える。
最近ちょっとチェックしてるのが、Kurt 
Rosenwinkle, Mike Moreno, Gilad Hecksleman,  Lage Lundあたりです。テクニック的にも音楽的にもこの辺りを抜け出るというのは、しばらく無いのではないかと思えます。もしかしたらそんな人がいつか出てくるのかもしれないけど、多分人間ではないと思います。想像つかない。


ギタリストはジャズでも性格的にロックの雰囲気を多少感じさせる人も多いけど、
そんな要素がまるで感じられない。(見た感じ) まるで一人で何時間でもずっと何か考え続ける事ができるような、おたく的な人達に見える。ある意味ピアニストっぽい感じにも見えます。もの凄い尊敬するし憧れるけど、あまり友達になりたいと思えるような人達ではないのかも(お前に言われたくない、でしょうが)。だからいいんだろうけど。


これはLage Lundの日本でのライブ。
ドラムのJonathan Blakeが音楽を引っ張っていてダイナミックにしてますが、面白いと思ったのは2:36あたりから5拍子を6で割ってるような事してます。最初に5拍を3と2に分けて、その3を4つで割っる、つまり3/4×4プラス2、それを4回繰り返しあと、5を均一に6で割ってるような感じ、5/6×6にもっていってるように聴こえます。8分音符6個の3拍子みたいかも。なんか修行僧みたいだな。  

こういうのをやるだけでも凄いけど、全く機械的に聴こえず、さらっと自然に音楽的にやる、というのがやっぱ神業。




 

NYには

セッションなどで、会う人達、
スタンダードもそんなに曲数知らないし、明らかに経験が浅いはずで、ボキャブラリーなどは限られてるのにリズム感だけはやたら安定しているベース、ドラムが結構いるような気がする。 耳がいいのかな?

あとは10代くらいで、既にとんでもない次元の人もいくらでもいて、多分半年前にオハイオから出てきたみたいな感じなんだろうけど、2、3年のうちに、ワールドクラスのバンドとかでやってるような事も全然めずらしくない。また、そうならない人もいっぱいいるんだと思うけど、どっちでもおかしくない。正に実力プラス、運なのかな。そんな感じの少年達が次から次へと、、、  

シダー•ウォルトンの凄さ

っていうタイトルだとまるで自分がシダーの凄さを分かってるみたいに聞こえますが、勿論まだまだ分からない事だらけで、正確には自分が凄いと思わされたこと。

あれは確か2005年頃、ビレッジバンガードで見たライブだったと思います。あるマイナーブルース調の曲で、最初のかなり長めのベースソロに続いて、ベースの最後のフレーズにかぶさるようにシダーがピックアップで(譜面上の区切りより早いポイント)「タッタッ、ターラ、ラーララッ」というフレーズで入ってきた時。

もの凄い説得力を感じました。自分でも誰でも弾けそう、どこにでもありそうなフレーズ。なんでか分からないけど何故か強力に自分の心に突き刺ささった説得力、イメージ、あれは何なんだろう、と後からずっと考えてただけど、大分たったある時自分なりに答えが見つかったような気がしました。

そう、あの誰でも弾ける、どこにでもありそうな単純なフレーズだけど、あそこで、あのタイミング、あのニュアンスで弾けるから凄くて、それができる人間はそんなにいないのでは、と思えました。

伴奏しつつ、長いベースソロをじっくり味わって、「そうか、分かるよ」みたいな感じで自分のソロに入っていったのではないか、と思います。

普通の会話でも「そうか」は誰でも言えるあいづち、みたいなものだけど、本当に説得力のある「そうか」、ああ本当に理解してくれたんだ、と思わせてくれる「そうか」は、本当に相手の話を誠意を持って、気持ちを理解しようとしながら聞いてないと言えないのだと思います。それなりの人生経験も必要かもしれない。(ボキャブラリーが貧しく「本当に」を連発で失礼)

勿論べースのDavid Williamsのソロ(話)も説得力があったからこそ、あいづちも打てたのだと思います。

テクニック的な事は練習すればそれなりの成果はある程度すぐ出る事もあるけど、ああいう風にシンプルなフレーズを、相手を深く理解し味わあないと出せないニュアンスで、これ以上ない相応しいタイミングで弾くというのは、ちょっと10年、20年くらいの経験では無理だな、と思わされました。


 

演奏する環境

ここのところ、ギグやセッションで自分以外のメンバーは黒人だけのバンドだったり、お客さんも大半がそうだったりする事が続いたけど、自分のプレーもどちらかというと細かい事より、ガーッとエキサイトするような傾向のプレーに自然と持っていかれる事が多い。そういう気分にさせられてしまう。
周りのメンバー、お客さん、場の空気によって起こる化学反応が如実に表れやすいのがジャズなんだと思う。

人それぞれ

ブログという事で自分の考え、思う事を好き勝手に書いてます

が、、、
 
実は、そんなにこだわってるという事ではないです。


アメリカ、特にニューヨークでは色々な人種、文化、主張がごちゃごちゃにぶつかり合ってるので、人とセンス、意見が違うなんて当たり前過ぎて、みんな自分と意見が違う事を変に気にしない、ので自然に自分もそうなってきたのかと思います。

こっちは、お互いに意見が違う事を認める、let's agree to disagree みたいなとこがあります。 
意見が違っても、しっかり自分のポリシーがあって主張する事自体はリスペクトしてくれる。

親子くらい上のミュージシャンと激しく意見がぶつかって、思いっきり言い合った事もあるけど、話が終わると子供同士のように握手して、からっと簡単にご機嫌になれてしまう。だから何でも言いやすい。日本だったら目上の人にあそこまで言ったら何年も顔みせられない。
年齢差、立場などを気にせず、対等な一人の人間同士として思った事を言えて音楽的に成長できるプラスな面も大きいと思う。

失敗、衝突を恐れず主張し合いながら成長する。ある意味その中で協調性も学ぶのがアメリカ式。
音楽、その他、を学ぶ過程にも当然かなり反映されてるように見えます。
荒削りでも大器を予感させる人間も生まれやすいかも。


また話がずれたけど、これからも自分の好みや思う事は書くけど、基本的には人は人で、実はそれほど気にしないし、どんなに変(と思えるような)な人意見に出会っても、あまりびっくりしたり不快になったりしないと思います。

こだわるとこ、こだわらないとこ、いい感じで共存できると結構快適。





 

笹島明夫さんのこと (最終回)〜大雑把な自分の音楽感

それで、僕ごときがとても偉そうになってしまいますが、なにが音楽とはいいにくいとは何なのかを自分なり大雑把に言わせてもらうと、言葉の意味や文脈、必然性があまりに感じられないものではないかと思います。


誰でも本は意味のある物しか読めない、というか意味の無い本は存在しない。ただ音楽はスポーツのように数字、結果で判断できないし、数学のように割り切れたり証明もできない。抽象的だし「好みの問題、個性だよ」というフレーズで結論されてしまうパターンも多いために、そういう物が存在しやすいのかと思います。クラシック音楽は意味の無いものは殆ど無い。演奏家自身があまり意味を理解しない演奏というのはありえるかもしれないけど。ジャズのアドリブはやっぱり何やってもいい個性orでたらめ、がごっちゃになってしまいう事があると思います。


自由というのは、より自分自身に厳しさを求めてくるものかも。



意味のある単語から、1つのセンテンス、センテンスから段落、ストーリーになって、その中にさまざざまな驚き、不安、安堵などのドラマ、また、演奏者のキャラクター、精神性、人生経験、などがそこから見えてきて共感、感動させられるのかな、と僕は思います。


いくら、大きい声で、どんなに正確に速くきれいに、

「あいうえかきくふくだちんko」と周りの音との関連性もなく最初から最後までずっと叫ばれても全く興味は持てないし、あまり幸せにはなれない。個々の単語はちゃんとしていても、「タオル、魚、明日、先生」とかでも音楽には聴こえない。でも音楽の定義なんて人それぞれだろうし、そういうあまり意味があるとは思えない物が好きであっても悪いわけではないから、やっぱり「好みの問題だよ」となってしまうのかもしれないけど、、、



話がそれてしまったけど、やっぱりより多くの人にいい音楽、本物に触れてほしいな、と思うけど、笹島さんの音は僕にそういう事を再認識させてくれます。




ジャズは特に日本の文化からはかなり遠い部分があるし、芸術と商業的成功が共存する事が難しいのも当然だけど、それでもより少しでも多くの人が本物を感じやすくなれるように音楽業界が導いてくれるといいな、と思ってます。

Doug Carn / Infant Eyes


これは、2007年頃、今はもうブルーノートアーティストにまでなったしまったJose Jamesが自分に紹介してくれたアルバムで、今もたまに定期的に聴くけど、いつも凄いインパクトを感じる。

Joseはサックスのコルトレーンがすべて、というくらいの人間で、当時コルトレーンの曲、ソロに自分で歌詞をのっけて歌ってたりしてた。
録音は諸事情によりリリースできなかったけど、あれは自分にとって一番魅力的なJoseだった。このアルバムはヴォーカルのJean Carneがコルトレーンの至上の愛のAcknowledgemmentを歌っていて目にとまったんだと思う。Joseは「オペラ歌手みたいで、ちょっと変じゃないか?」と言ってたけど、自分はこの独特の世界にとても魅かれた。
ちなみにオルガンのDoug Carnは当時の旦那で後に別れたらしい。


何か、命を絶ってしまって体は動かないのに、まるで魂だけでそのまま歌っているような、それが地球の奥底か何処から聴こえてくるようなイメージを持たされる。

本当に好きな音楽は、勉強になってしまいたくなく、できるだけ頭を通さないで聴いていたいんだけど、この曲の演奏はバラードの中でもかなり遅い事に最近やっと気がついた。バラードを演奏する時はかなり遅めが好きで、自分でテンポを出すとついそうなりがちだけど、ホーンプレーヤーやヴォーカリストに迷惑だから気をつけるようにしている。もしかしたらこの曲みたいな演奏が好きでイメージが焼き付いてしまってるのかもしれない。やっぱり遅くて我慢強さを強いられる テンポ、子供のセックスより大人のセックスみたいなバラードがいい。

 
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