ジャズピアニスト Nori OchiaiのBlog

音楽、その他を通して日々感じる事や活動状況。

2014年08月

色々な日本

NY来てから、色んな日本人にあったけど、いつ頃来てどの位の年月いるのかが、かなりはっきりと伝わってくる事があります。何故か、

何故かというと、最近はインターネットの普及でかなりみんな日本の文化をキャッチアップしているけど、例えば40年前、30年前、20年前に来た人達の日本語、服のセンスからは当時の日本を醸し出さてくるし、それプラスアメリカ文化もやっぱり滞在期間に比例して強く影響して混ざってくる。
多分彼らの日本文化、日本時間は日本を出た時点でストップしてるのだと思う。文化は生き物みたいなもので、常に変化しつづけると思うけど、極端な言い方をすると、彼らの日本文化は死んでしまって保存されてるようにも感じられます。自分は10年前の日本らしさを持ってるのかもしれない。ただネットなどのお陰で、KYなどの現代用語は一応知ってるし、破廉恥やおてんば、などの言葉は死語だというのも知ってる。

例えば30年前に来た人で、明らかに自分に非があるような場合でも、あまり謝らない。あれ?と思いながら、こちらもも謝らないとどうなるのかな?と様子見ると、それはそれで、相手も全然平気な感じだったりする。その辺は結構アメリカっぽいのかもしれないので、そんなつもりでいくとうまくいく。

こちらで色んな日本人と接する時には、この滞在期間を少し考慮すると、分かり易い事が多い。

日本人と演奏する時も、自分よりアメリカ滞在期間が長い人とだと、あまり気を使わないでやりやすい事が多いです。アメリカ人とプレーする時と同じような心持ちでできるからだろうか?


 

正しい内容、言葉を話せたら

その後は正しい表現力(ちょっと変な言い方かもしれないけど)を見に付けないといけないのだと思う。
「ありがとう」「さようなら」「大変だね」などの様な言葉を言っても、勿論一人一人、60億通りの表情、ニュアンス、個性があると思うけど、それでも中には、どう見ても相手を思いやって、理解して、同情しての「大変だね」 には見えない顔、そういう顔では絶対に言えないよね、というのもあると思う。

どんなにいいフレーズを弾いても、感情、表情が相応しくなかったら、ある意味、間違って聴こえたり、嘘に聴こえてしまう、結局ダメなフレーズ弾いてるのとあまり変わらないのだと思います。

意味のある言葉で話し続けて、そこに偽りのない正直な相応しい感情が伴っていると、全ての音が生き物のように命を持って、生き生きと、言葉のように話かけてくるんだと思うけど、そこまで行ったら神業なんじゃないか、と思います。

分かる人の前ではすぐ見抜かれてしまうだろうけど、少なくても、そういう所を目指して、正しい方向を向いていたい、とは思う。

音の嘘

以前、単語をデタラメに並べても音楽には聴こえない、と書いたけど、それでも個性とか真心がある、というような解釈もあるのかもしれない。でも自分には、どんなに頑張っても 「タオル、魚、明日、先生」と言って人を感動させる、というのは不可能のように思える。言ってる本人にも意味が分からないような事をまるで楽しく、興奮した顔で白熱した演奏のように見せるのは、少し分かる人から見たら、(悪い言い方だけど)嘘つきにようにも見えてしまう。マニアックな世界だからこそ、そういうのが成り立ってしまうのだろうから、「芸術」というのはやっぱり難しいな。


なかなか本物(意味のあるもの、それぞれのフレーズに必然性、理由がある)と、そうでないものの違いを感じるのも簡単な事ではないけど、聴いた後になんかストーリーがあったような印象に残るもの、全く残らないなぁ、というのは知識や経験に関わらず、多くの人が自然に感じる事だと思います。
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