中学生の頃、兄のカセットテープに入ってた尾崎豊のアルバムを聴いてた。
90分テープでちょうどアルバムが片面に入るサイズ。

いつも聴き終わると巻き戻して、片面の尾崎豊だけ聴いてたけど、ある日、
ちょっと戻すの面倒くさいと思い聴き終わった後、そのまま裏面をかけてみると、何かの間違えかのように、この曲が、、、、、、、、、、、、、、、、、、、!!!
ガァーーーーーン!



何がなんだか何も分からない、けど2つだけはっきりと感じた。それは、

これは自分のいる日本からはとても遠い場所でやっているに音楽に違いない、隣の国とかではなく、多分地球の反対側くらい遠いところなんだろうな、という事。

それから、何か自分達の言葉でしゃべってるような気がした。


いいか悪いか、好きか嫌いかすら何も分からないのに、あまりに聴いた事も見た事もないような、いったい同じ音楽なんだろうか、と思うくらい違う世界に対する好奇心だけだったのか、それから尾崎豊を聴き終わると毎回巻き戻す替わにりColtraneを聴くようになっていく。

そして少しずつ、これはもしかしたらかっこいい音楽かもしれない、もしかしたらこっちの方がかっこいかもしれない、と感じ始めるようになっていった。


何度も聴いてるうちにピアノのMcCoyが音を間違えるところも分かるようになり、何故かそこにライブ感、人間臭さも感じて惹かれるように、そこにくるのを待ち構えるようになっていった。

それまで馴染みがあったクラシックのハーモニーに比べるとコードがあまりに濁っているので、「これは適当に弾いているんだろう」と思い、拳でピアノを弾いて真似しようとしてみると全く違うサウンドだったので、「ああやっぱりデタラメではないのか」と分かった。

大まかに飲み物に例えると、クラシックが赤ん坊からお年寄りまでみんなで一緒に飲めるようなピュアなお水だとしたら、ジャズのサウンドはもっと限られた大人のためのお酒みたいなものだで、その頃の自分がいいか悪いかも分からず聴いてたのは、子供がいきなりお酒を口に含んでしまったようなもので、その”苦みだけ?”を感じていたのかもしれない。

でも今思うと、何も分からなかったけど、はっきりと感じた2つだけの事は、全く間違って無かったし上出来だったのかも。理屈でなく感じる、という事はやっぱり大事なんだと思う。

後でこれは、歴史上の最高のアルバムの一つ、という事を知る事になるけど、やっぱりあの時このサウンドを聴いてなかったら多分ニューヨークにも来てなかった。
このアルバムをかけるといつでも、最初の音が鳴った瞬間ドキっとして、背筋が伸ばされるような気持ちになってしまう。