テレビは持ってないし殆ど観る事ないけど、最近たまたま観た時にちょうど演歌歌手が歌ってた。

ジャズシンガーの事書いたりして、改めて最近色々考える事も多かったけど、そのテレビの中で歌う演歌歌手が飛び込んで来た瞬間、理屈抜きに一つだけ感じたのは、

本物だ、
っという事でした。


先輩ミュージシャンで、「変なジャズボーカル聴くなら、演歌の方がよっぽどいいよ」と言ってた人もいましたけど、やっぱり言葉は完全に自分のものになっていて、最も気持ちを自然に自由に込められる、操れるものだろうし、その言葉に伴って、相応しい自然な表情、仕草、など、本物のジャズシンガーを見る時と同じような、本物感があると、当たり前の事かもしれないけど、思わされました。

それは、ただ声が出てる、歌が上手いとか、そういうものだけでなく、日本の文化、歴史、習慣、先祖から伝わってきた日本人の性格、心、などすべてが含まれて、それを歌を通じて感じさせられるのだと思う。

その声を聴いてると、まるで東北の厳しい自然、景色、日本海に厳しく突き刺さるような北風、など、やっぱり”日本”を連想、感じさせられる。自分もそういう世界全てを実際に見た事は無かったとしても”イメージ、文化を知ってる”から感じられるのかと思う。


だからこそ、どこか遠い国、例えば、ブルガリアで生まれ育ち、そこから出た事も無い人が、少なくてもこっけいに聴こえないくらい、日本語で自然に演歌を歌うという事は、日本で育った人がやるそれとは、難しさ、きびしさが全く違って当然だと思う。

一方ジャズは、当たり前だけど、アメリカ文化や、アメリカ人の性格、フィーリングなど、を強く感じさせるものだと思う、

日本のジャズシンガーが、盛り上がって感情込めていけばいくほど、むしろ演歌みたいな声、歌い方になり、仕草、表情もそのように見えてしまう事もあまり珍しくないかと思います。声を聴かなくても、姿を観るだけでも何か変だな、と感じさせられる事もあるのではないでしょうか。演歌とジャズの融合、などのコンセプトがあったとしたら、好き嫌いは抜きにして、それもありなのかもしれないけど、ただ普通にジャズをやろうとしているのだけなのにそうなっているだけだったら、そして「私はジャズシンガーです」のようにプライドだけ高く偉そうだったりしたら、なおさら裸の王様のようでちょっと残念かもしれないですね。

じゃぁとにかく表面を真似したらいいのか?と言ったら、それはそれで中身、基礎が無ければ逆に気持ち悪いもの、まるで全然英語話せないのに、やたらアメリカナイズされたような身振りするような、そういうものと同じような不自然なものにも見えてしまったりもして、そんなに簡単ではないかもしれない。

”日本のジャズシンガー”のブログに対して、出身地や国籍など全く関係無いと思います、というコメントくださった方もいましたが、自分は大いに関係あると思います。

ニューヨークで何十年かけて真剣にジャズを歌う事を追求してるような日本人なら、いかに日本で生まれ育った人間にとってジャズを歌う事が難しいか、という事を知らない人はいないのではないのでしょうか

勿論日本でもどこでも、真剣に追求している人なら誰でも感じる事ではないかとも思います。


以前のブログで、http://noriochiai.blog.jp/archives/66992816.html
本物のジャズを歌えるようになる、というのは、言葉はほぼネイティブ、アメリカ文化もそうとう自然に身体に染み込むところまでになる、とほぼイコールではないか、と書いた事ありましたが、やっぱり演歌歌手を観ても、そう感じました。

もし真剣にジャズを歌う事を目指すならそのくらいの難しさ、きびしさを知ってないといけないのかもしれない、と改めて思わされました。