柔道の事は分からなくても、道着を雑に扱っていたら、ああ、この人は本物の
柔道家でない、という事は多くの人が感じるでしょう。
音楽以前にあり得ないような振舞い、マナーのセンスの持ち主が
立派なお金取って人前で歌ってしまう、という驚くような状況が日本にはあるようです。
演奏前、休憩時間など、ずっとお客さん(主にベテラン男性)の席に張り付いて飲食、お話に力を注いでいて、打ち合わせる事ができない、打ち合わせる気もなく見えたり、演奏終わるや否や姿が消えた、と思うと、キャッシャーへ直行し、全てのお客さんを待ち構えてフライヤーを手渡したりする。リーダーではなく、メンバーとして呼ばれた場合でも、当たり前の様に自分のCDやライブの宣伝だけをする。
色々大切な事はあるのかもしれないが、優先順位がくるい過ぎてしまい、ミュージシャンというには程遠いのかもしれない、思わされます。
都内で定着している、複数のシンガーが組み合わされるライブで、他のシンガーが歌ってる時は、全てのお客さんに話しかけるために、会場中を動き回り目障りになる。あげくに、「こういう複数のシンガーでの出演は初めてだったけど、他のシンガーが歌ってる時にはお客さんと話す事もできて良かったです」の様に言えてしまう人もいました。
そしてFacebookの自己紹介のようなところに、自分が凄いって事が書いてあるのも何故だかシンガーばかりだと思います。例えば、“本格的、実力派プロシンガー“ のような肩書きはあっても、”本格派、実力派テナーサックス奏者“というようなものは見ないような気がします。歌う人の中に何か特別な意識を持つ人が多いのかもしれません。
スポーツでも、オフィシャルなところでのプロフィールではあったとしても、facebookの個人ページなどで、“本格派プロ野球選手” “実力派ボクサー” のような自己紹介見ないですよね。
こう言った不思議な行動センスの楽器奏者は全くいないけどシンガーばかり、というのは何故だろう?
プレーヤーの皆さんは、初めから他のプレーヤーとの合奏が前提で、担当音域、和音楽器、リズム、などでハーモニーが分けられていて、必然的に聴きあうこと、会話をすることが必然です。そうでないと音楽になりません。ジャズならなおさらインタープレイが最重要課題です。そしてリスペクトしあうことで、初めて素晴らしい演奏になります。
でもボーカルは、メロディーが歌えれば程度の差こそあれ、形の上ではバンドとの演奏は成立してしまいます(真の意味ではそうではないですが)。ステージに上がれば、対等な共演者ですが、上記のようなインタープレイをしようと思わなければ、プレーヤーの皆さんはただの歌伴です。
そしてボーカリストして最大の関心は、いかに自分が映えて、目立ち、いかに注目を浴びるか、であり、プレーヤーとの関係は、対等でなく、リスペクトの対象ではないのでしょう。上手いプロのプレーヤーをいかに集めて、素敵な演奏をさせるか、がボーカリストの関心でしょう。