「アメフトというくらいだから、(環境、システムなど色々な意味で)アメリカンな方がいい」
とあるコメンテーターが言ってましたが、そりゃそうだな、と思いました。
自分も、ジャズもアメリカンの方がいい、と帰国してからは特に感じさせられるようになりました。

日本的なマナー、礼儀、協調性、忍耐力、精神論などを躾けるのに、アメリカの文化で生まれ発展したものを使う、というのはやっぱり無理があるかな、と思います。

最近あったアメフト、レスリング、相撲(これは日本の文化なので、現代ではちょっと違和感感じる習慣もあるにしても、仕方ない面もあるのかもしれないですが)の問題の直接の原因、核心部分そのものとは違うかもしれませんが、スポーツ、音楽の世界などで、たまに起こってしまうような、日本ならではの残念な事件とも大きな意味では関連あると思います。

子供に観客の前で暴力して、「これがJAZZです」のように言えてしまうプレーヤーがいたり、それをかっこいい、音楽も教育も超一流だ、のように賞賛できてしまう人間が少なくなかった、というのもこの問題が大きく関わっているのではないか思います、ある意味、彼女彼らはとても日本人なのでしょう。

ジャズでいうと、理論や”ある範囲内”での楽器の技術などは日本式なやり方でも習得できるかもしれないけど、リズム、フィーリング、テイスト、アンサンブルなどの部分はかなり難しいのではないかと感じます。

帰国したばかりの頃、いわゆる典型的な日本の大御所(今だに違和感あり苦手な言葉)と言われるプレーヤーが、自分のフィーリングがおかしい、という事で、ジャズのカウントの仕方、というものをまるで初心者にでも対するように親切に教えてくれました。

と同時に、自分の事を、世界で通用するレベルだね、とも言ってくれました。自分がその人に褒められたと自慢したい訳でもないし、まるで初心者扱いされたのが悔しいと言いたい訳でもないです。でも、何かがおかしくないでしょうか?

説明しながら見せてくれたのは、正直に言えば、(自分には)見ただけでスイングしないな、と思わされるものでした。わざわざ言う必要も無い事かもしれませんが、当然アメリカで、スイング感のあるカウントはさんざん見慣れてきました。世界最高のプレイヤーから、ローカルな素人のシンガーのおばさん、おじさん達がどんなカウントするかまで見てきて知ってます。

話を聞くとそのプレーヤーは、ジャズの本場には行った事がないそうでした。行く行かないはともかく、行きたいと思った事すらなかったように見受けられました。現在世界の最高のレベルがどんなものなのか、という興味、関心も感じられませんでした。乱暴に分かりやすく言ってしまえば、日本のジャズが全て、というかそれしか存在してない、というような世界を感じました。

イタリアン料理をずっとプロフェッショナルに追求しているのにイタリアに対する興味が無いのと同じような事かもしれません。そういう人達から、アメリカやイタリアの香りがする事も無いでしょう。

「日本の習慣、礼儀、マナーの美しさなどもジャズの中に生かし表現したい、ジャパニーズジャズが最高なんだ、それを追求したいんだ!」というならまだある意味リスペクトできますが、もしそんな事すら考えた事なく、自覚も無く、ジャパニーズジャズを自然なジャズ、正しいジャズ、として主張し、押し付けながら教育してしまっているのなら、それは残念な事だなと思います。