意識が無くなってから、最後に一緒に聴いたバラード2番。
 
冒頭のメジャーのワルツ。なんて穏やかな、これ以上無い美しくピースフルな世界なんだろう。母が眠る横で、今までの苦しみが嘘の様な音の世界。このままずっとこの状態が続かないかな、時間が止まらないかな、このワルツみたいにずっとこの幸せな時間が続かないだろうか? そんな気持ちになった。

しかしその冒頭の部分が終わると、あまりに激しい嵐の様なマイナー部分がやってくる。何度も繰り返し聴いてると、毎回嵐の始まる部分が恐い。その部分が来ないといいのに、と思わされた。まるで現実の厳しさを叩きつけられるよう。


30日くらいまでは、頑張って、頑張って苦しそうに呼吸していた。まるで大きなしゃっくりをする様な呼吸。そして呼吸と呼吸の間が大きく開く事がある。その度にこれが最後なのか、と手に汗握りどきどきさせられた。覚悟はしていながらも、間が開くと恐かった。

もしかしたら年内はもたないのか、

そして30日の夜くらいから、その呼吸が穏やかになって来た。苦しさも少なくなって来て安定して来たので、また僅かに希望を持たされた。

そして31日の昼間に最後の訪問者、トニーが突然現れた。

なんと前日の夜遅くに、練習終えて都内繁華街でトロンボーンを持って歩いてたら、後ろから年配の女性がトントンと話かけてきて、
「それはトランペットですか?」
「いえ、トロンボーンです」
「あら、そうですか。楽しんでくださいね!」
と言っていったそう。

トニーもそう思ったらしいけど、「楽しんで」という言葉は普通あまり出てこない。それで、何かノリのお母さんみたいな雰囲気だった、病院行ってみよう、という気になってくれたらしい。ちょうどその頃は意識も無くなくなって、自由に色々飛び回れる、という話もあるからそうだったのかもしれない。

呼吸は安定した、つまりもう無理に努力する呼吸ではなくなり、苦しみも無いでしょう。耳は聞こえてますから、できるだけ楽しい話をしてあげてください、と先生から説明を受ける。

本当にこれでもう意識は戻ること無いんだ、という現実を叩きつけられる、と同時に苦しみから解放された事の安堵感が入り混じる。トニーもしばらく穏やかに見守ってくれていて、それはまるで今までの嵐が嘘だったような時間だった。 

トニーが帰ると、年末恒例の格闘技イベントのテレビ中継の時間。
子供のころよく家のリビングで観ていて、母がそこにいる時は、痛そう、勘弁して、と嫌がっていた。ただ暴力的な訳ではない格闘技の素晴らしさを一生懸命に説明しようとしたけれど、、、

最後にその格闘技を一緒に観た。
そして年明けて新年のメッセージがくるかもしれない。その時いきなり喪中も寂しい。「年だけは一緒に越してね。」と最後のわがままなお願いをした。

無事に格闘技は終わり、年も越せた。
いただいたメッセージには書けるうちに急いで返事をした。

ずっと前から「もう限界だよ」言われてたのに、最後の自分のわがままを聞いてくれた。


もしかしたらもうしばらく大丈夫かな? 後2、3日いけるかな、なんてまた希望を持ってしまって、妻に頼んで病室のそばのスペースで仮眠していると、朝3時頃妻から「来てください」というメッセージ。

行ってみると、変わらず大丈夫そうで安心したけれど、
「手を握ってあげてて」と言われる。
様子は変わらない気がしたけど、妻は何か感じていたのかもしれない。

しばらくして、どれくらいだっただろうか?、30秒〜1分くらいの事だっただろうか、ずっと閉じていた目が僅かに開き、開いていた口が閉じた。最後のお別れの挨拶だったのかもしれない。

痩せて細くなってしまっていた手はとてもふっくらしていた。

そして4時15分頃から、母の呼吸がフェードアウトしていった。
音楽でいうディミヌエンドで、どこで音が消えるのかホントに分からないような、時間をかけながら緩やかに緩やかにフェードアウトしていった。