はっきり言って殆ど着いていけてないけど、最近は顔本、ブログ、
ツイター、マイッター、インストなんとか、とか色々あるみたいだけど、
みんなどう使い分けてるのだろう?

複数の媒体に毎回、同じ内容が見れるようにいつも連動させてる様な人は、ただただ少しでも多くの人に見てもらいたい、という事なのかな。

多くの人が感じているように、自分も顔本には便利、強力な力(強い力、というべきか)がある反面、やっぱり違和感を感じる部分がある。何故なのか、今さら一応整理してみると、


自分の意思と関係なく、興味あるもの、無いもの、色々な情報が自動的に入ってくる。
(恋人、夫婦間ののろけ、偉そうなレクチャー、愚痴、嘆き、怒りの表現など)

自分を良く見せたい、寂しい、賞賛を期待している(人間なら皆ある事かもしれない)というのがあからさま過ぎる事がある。
(やたらと有名ミュージシャンとの写真や、明らかに色仕掛け的なポーズの写真をアップとか)
日本と違って、アメリカでは殆ど(といっていいと思う)誰でもyou are killing, sexy, gorgeousみたいな賞賛の嵐なので、えっ、という場合でも、どんどん調子に乗りやすい環境はあるのかもしれない。

でも、場面さえ間違わなければ、恋人同士ののろけ、友達同士での自慢話、どう、私セクシー?、腹が減った、こんなケーキ食ったけど写真見てくれ、今セントラルパークに来たよ、とか全く問題無いのかもしれない。

何が違和感かというと、facebookはある意味、不特定多数が見る事がある、というか時には見させられるパブリックの場みたいなものだけど、そこに相応しくないものがまぎれこんでくる事なのかも。
I love you honey.  I love you, too. とかをパブリックの場でやる必然性は自分にはあまり分からない。
それもsent from mobileとかなってると、直接テキストメッセージ、もしくは電話ではダメなのだろうか?と思ってしまうけど、 当人にしてみたら逆にそれでは意味が無いのかもしれない。

勿論、自分もさんざん、人を不快にしてきた事や、高校生の頃、周りの事など気にする余裕もなく、電車の中でいちゃついていた事等が、あらためてどういう事だったのか反省でき勉強になる意味では、ありがたい。


ただ、勿論例外もあって、これは相性的なものもあるかもしれないけど、同じ子供自慢のようなものでも、ちょっときびしい、またか、と思ってしまう場合と、不思議と全くそう思わされない場合があります。自分の独断的な意見かもしれないけど、違いは、自分を客観的に見れてるかどうか、のような気もします。

極端な言い方をすれば、同じようなくだらない、バカな事をやっていても、分かってて承知でやってるのと、ただ夢中で行動しているだけなのでは、印象が全く違うのではないか、と思えます。(子供自慢がバカな事という意味ではないです)

これはジャズの演奏にも結構共通していて、自分が何やってるか分かってれば、理論的に間違ったような事も全然かまわない事もあるし、ハーモニーやリズムがアウト(外れた、ずれたような感じ)してもかまわない。相手によりそってもいいし、あえて無視してもいい場合もあるかもしれない。
ただ、生徒とセッションしてて「俺を無視するのは構わないけど、無視してる事に気がついてなかったら、無視してる事にならないよ」と言った事あるけど、やっぱり何やってるか分かってる、意思を持って責任持って行動している、という事が大事なのかもしれない。


ブログの内容、というテーマなのに、長々とfacebookの事を書いてしまったけど、何がいいたかったかと言うと、facebookはパブリックに相応しい最低限な内容で、ブログは基本的に自分の意思で見に来てくれる人対象だと思うので、あたり触りの無い、いい人っぽいものより、少しストレートに思った事を、時には少し毒を吐いたりもありで(すでに吐いてるかも。吐きすぎないように)自分がどんな人間でどんな物の感じ方をするのかが伝わるようなものを書いていこうと思います。





正直、半人前にもならない自分がブログなんてやる分際か?とずっと思っていたけど、そんな事言ってると、いつまでもできないので、ちょっとこんな感じでやってみます。