それで、僕ごときがとても偉そうになってしまいますが、なにが音楽とはいいにくいとは何なのかを自分なり大雑把に言わせてもらうと、言葉の意味や文脈、必然性があまりに感じられないものではないかと思います。


誰でも本は意味のある物しか読めない、というか意味の無い本は存在しない。ただ音楽はスポーツのように数字、結果で判断できないし、数学のように割り切れたり証明もできない。抽象的だし「好みの問題、個性だよ」というフレーズで結論されてしまうパターンも多いために、そういう物が存在しやすいのかと思います。クラシック音楽は意味の無いものは殆ど無い。演奏家自身があまり意味を理解しない演奏というのはありえるかもしれないけど。ジャズのアドリブはやっぱり何やってもいい個性orでたらめ、がごっちゃになってしまいう事があると思います。


自由というのは、より自分自身に厳しさを求めてくるものかも。



意味のある単語から、1つのセンテンス、センテンスから段落、ストーリーになって、その中にさまざざまな驚き、不安、安堵などのドラマ、また、演奏者のキャラクター、精神性、人生経験、などがそこから見えてきて共感、感動させられるのかな、と僕は思います。


いくら、大きい声で、どんなに正確に速くきれいに、

「あいうえかきくふくだちんko」と周りの音との関連性もなく最初から最後までずっと叫ばれても全く興味は持てないし、あまり幸せにはなれない。個々の単語はちゃんとしていても、「タオル、魚、明日、先生」とかでも音楽には聴こえない。でも音楽の定義なんて人それぞれだろうし、そういうあまり意味があるとは思えない物が好きであっても悪いわけではないから、やっぱり「好みの問題だよ」となってしまうのかもしれないけど、、、



話がそれてしまったけど、やっぱりより多くの人にいい音楽、本物に触れてほしいな、と思うけど、笹島さんの音は僕にそういう事を再認識させてくれます。




ジャズは特に日本の文化からはかなり遠い部分があるし、芸術と商業的成功が共存する事が難しいのも当然だけど、それでもより少しでも多くの人が本物を感じやすくなれるように音楽業界が導いてくれるといいな、と思ってます。