ジャズピアニスト Nori OchiaiのBlog

音楽、その他を通して日々感じる事や活動状況。

音楽

ワークショップ2回目終えて

ワークショップご参加のみなさま、お疲れさまでした、ありがとうございました。

皆さまの集中力の圧が強く、普段休憩など自分から求める事はないのですが、思わず緊張感の強い空気に耐えきれず、、、2度も休憩を入れさせてもらう程でした。

裏が、3連が、と言葉で言えば簡単だけど、どれだけ難しいか、大切か、どのようにプレーが変わるか、などなど体感していただけたのではないか、と感じてます。

簡単な事をちゃんとやる、って難しいですよね。
自分も改めて、裏が、3がどれだけ弱いか、難しいか、確認させられました。

終わりはないし、時間もかかるけれど、少なくてもその大切さを知っているか知らないは、ジャズを楽しむには、とてつもなく大きな違いだと思います。

皆んなでカウント、手拍子した時、とても力強く気持ちいい瞬間は確かにあったり、リズムを感じていくと身体が、そう感じていないと決してならないバネの様な動きになっていったり、理屈ではなく感じていただけたと思います。

楽器で実際に演奏してもらって、スイングにのっかれるフレージングにするためにメロディーを1箇所変える、2箇所変える、そしてポイントを意識してもらいながら演奏クオリティを上げていくと、観てる参加者の中には、「あっ!」という反応もあり、理屈ではない、身体が分かると思いました。

今日のワークショップが、今後ジャズを楽しむうえで、少しでも意味があるものにしていただけたら、とても嬉しいです。

次回は3/30昼間、最終回ですが、今日も少し触れた、ジャズのフィールから自然に出てくるフレーズ、弾き続けていたら永遠にジャズにならないフレーズの違いを、できる限り言葉や、身体も使って感じていただけるように、区別する事ができるようになってもらえるような内容にしたと思います。よろしくお願いします。

ありがとうございました!

日本に居たって!

日本に居たってジャズはできる!
勿論、”できる” という定義は人それぞれ。

と言う様な事を声高に言う人をたまに見ます。

天才なら、何処ででも何でもできるかもしれないけど、そんな人、100年に何人位居るのかな?少なくてもそこら辺には居ない。実際歴史上の天才と言われる人達の殆どは本場の恵まれた環境で切磋琢磨していた。

ポリシーや自信、信念を持っている事は素晴らしいけど、そう言う人達に限って、本場に行った事ない、見た事ない、2週間行って来た事がある、みたいな人ばかり。

逆に本場である程度の年月、身体で経験している人で同じ様に言う人は見た事ない。

知らないで言い切るって、相当無知に見えてしまわないだろうか?

日本でずっとやって来ていても、素晴らしいプレーヤー達ほど、違う事は当然知ってるし、必死で何が違うのか、を追求してきてる様に見える。無知な人ほど、「日本でもできる」、場合によっては「日本の方が〜」、みたいになってしまう事さえある。

そうなってしまうと正に島国といった感じで相当狭いし、、ジャズのマインドからもかなり遠い。



アフリカで、日本語を話す事がない、話せない、日本人と接する事も殆どない、日本に来た事もない、日本の文化に興味無い人が、「アフリカでも日本食は極められる!」と言ったところで、多くの日本人は否定も肯定もしないだろうし、真面目に話す価値すら感じないのではないかと思う。それと同じではないかな。

日本的なジャズ

日本の習慣、考え方に合うジャズでずっとやってきてる人にとっては、やり辛いと思わせてしまう事は少なくないと思います。


勿論好み、思考などは自由でいい。

でも、問題なのはそういう人達が、

日本的なジャズがいいんだ、やりたいんだ!

という自覚ではなく、ただ普通にジャズをやっている、もっと言えばちゃんと?真面目に、真剣に、本物のジャズを追求してやっているつもりだったりする事。

こだわりやスタイルと、勘違い、は違うのではないだろうか。

ジャズの人生を生きてたら

日本の文化、街の光景、景色、テレビ、さまざまな物に違和感、不自然さ感じてしまうのは自然な事。日本文化から見たら遠くて異質なものがジャズ。

何も違和感感じないなら、あまりジャズではないかもしれない。
 

日本の常識はジャズの非常識

ジャズの常識は日本の非常識。
文化が全然違い過ぎるから当然だし仕方ない。

できるだけ自由にのびのびと、変な気遣い遠慮はしないで、自由にコミュニケーションとってアクティブな演奏できたら、と思いつつ、勿論気にするところは気にしてると、

「ちゃんと仕事してくださいよ。何もしてないじゃないか」
なんて言われる事もたまにあります。

通じない人、理解できない人から見るとそうなってしまう。

日本的な習慣やり方に何も疑問持った事も無く、長年それが染みついてる様な人にとっては、自分のジャムセッションは面白くなく怒ってしまう、帰ってしまう方もいらっしゃいます。

そういう方達は相応しいセッションは沢山あるだろうから、そういう所に行っていただく方がいいだろうし、申し訳ないけど、その人達のために自分が大事にしてる部分を犠牲にしては、わざわざ自分がやる意味無いので、それで通させてもらってるし、これからもそうしていきます。


上達したい、真剣にジャズをやるなら感じれた方がいい事はあります。


自分は、日本にジャズで長く染みついて習慣になってる
順番待ち、歯医者さんの順番待つような感じではやらない。

シーンとした中、順番でお名前をお呼びするので、呼ばれた方は、、、
客や患者はただただ大人しく順番を待つ、

およそジャズをやれる気分とはかけ離れた空気になってしまい、そこからいきなり切り替えて楽しく自然なジャズを演奏するのは難しい。

ジャズはアメリカの文化で、アメリカの習慣、アメリカ人的態度、姿勢が合う。積極性も求められる。日本のマナー教育スタイルはいくら素晴らしくてもジャズには合わない部分が大きい。そこが邪魔になってしまう事も多い。

名前呼ばれるのを静かに待つ、与えられた宿題をやる、つまらなくても我慢して頑張る、などなど受け身的な態度が得意だったり好きな人が日本には多い。

逆にジャズは自分から行動、意見、工夫、対等にアクティブにコミュニケーションしようとするデモクラティックな世界。自分でおもちゃ作ったり、遊び方考えたり、レッスンなら先生に何を教えさせるか、どう最大限に活かすか自分で工夫する、そういった姿勢が合う。

自分もNY行ってそこはすぐ気付き、そういう姿勢でいかないとジャズは上手くなれない事は理解しました。教えてくれるものをただ待っている様な姿勢は向かないので、質問は常に沢山あったし、何をどの様に教えてもらうか、変な言い方かもしれないけど、先生としての能力を生徒が最大限に引き出すくらいの気持ち覚悟が求められる。

マナーなどに関して、日本人は我慢強いし大人、アメリカの方が多少行儀悪く子供みたいな人も多く子供、とも思う部分もある反面、物事に向かう姿勢、行動する、という意味では日本人は子供な人が多いかもしれない。

海外旅行するとすぐにツアーに申し込んで、お金払って観るスポットさえ用意してもらって連れて行って貰おうとする人も欧米人に比べて圧倒的に多い。

逆に欧米の人達は自分のセンスで行動、選択しないなんて、自分の足で動かないなんて勿体無い、例え失敗したりしても、それさえも旅の楽しみくらいに考える人が多いと思うけど、そんな違いもジャズにも表れている。




 

逆にブログに賛同、共感してくれる人達に共通してる

と思わされる事は、


皆さん、ご自分や自分の音に厳しく真面目で、難しさ、色々疑問を感じている人達である事に気付かされたけど、これはほぼ100パーセント。

恐らく、ごく少数の賛と、圧倒的多くの否だとは思うけど、

もし大多数の人に受け入れられてしまったら、それは日本のジャズの習慣、常識に収まる内容という事かもしれないから、少数の賛でないといけない?し、それでいいのかもしれない。

これって頭ノリですか?

という質問を生徒さんからいただく事があります。


これ“、とはプロミュージシャンの演奏、レッスン動画のお手本、 などですが、大抵「そうだと思います」という答えになります。


他人の演奏を批評、批判、ましてや自分より経験、実力ある?人に対して、いいのだろうか、失礼ではないだろうか?と思う人も多いみたいですが、それは自分も同じように感じた事あるのでよく分かります。


ただ、頭ノリかどうかは、飲食店で例えると腐ってる、傷んでるものを提供するかどうか、の類のジャズの基礎の部分なので、良い人、嫌な奴、といった問題では無く、そこを感じる事ができなければ、上達する事は勿論、リスナーとして味わう、楽しむにしても、難しい部分はあるのかと思います。


もしレストランで食べたものが腐っていても、「あのシェフはいい人だからお腹が痛くなる自分が悪い、そんな事疑ってしまう自分が悪い」とはならないのと同じだと思います。


腐ってる物を食べて感じない人は殆どいないし、必然的に飲食店でそのレベルでの最低限の基礎が無い、という事もまずないので、そんな経験する人は殆どいないですが、日本でジャズを演る、楽しむというのは、

アフリカで日本舞踊をやる、鑑賞する様なもの

なので、勘違いは激しくて当然、基礎のないものや、おかしな価値観が溢れてしまうのも当然、仕方のない事です。

それさえ感じた事なければさらに難しくなると思います。 


有名ミュージシャンでも美人でも、経験豊富でも年上でも、いい人でも頭ノリは頭ノリだし、ジャズが好きな人は頭ノリのジャズ的演奏を楽しむ事は難しい、それだけの話です。


「頭ノリですか?」、は言い換えてみると、
 

『これって腐ってますか?不良品ですか?』


と聞く様なもので、「何言ってんの」、と思う人も多いかもしれないけど、その位日本で自然なジャズの価値観を持つ事は難しい事なのかもしれないです。 


上達するためには、おかしなものをおかしいと感じれる事は必要だし、バカにする、見下す、とは違う事です。

最初は手探りのように、少しでも理解のきっかけを掴もうとする事は大事なので、こんな事?と思わずに気兼ね無く聞いていただけたら、できる限り説明、サポートさせていただきたいと思ってます。


自分なんかがそんな事を、、、と感じる気持ちも分かりますが、そんな感情と冷静な勉強とは切り離して、確かなジャズのセンスを身に付けて、より楽しめる人が増えてくれたら嬉しいです。

 

ちゃんと聴いてます!

レッスンで「音を良く聴こう」と言うと、間髪入れずに「聴いてますよ」
と返ってくる事もたまにあります。 ジャムセッションで意見を求められる時にも。

聴いてるのに、聴きましょうとは何なんだ、、、と思うのかもしれない。

自分もNY行ってレッスン受けた時に、「音を聴け」と言われた。聴いてる“つもり“だったけど。

自分レベルだけど、多少の厳しい道は通って来た経験から、“自分が聴けてない“事を指摘され、でもその事をその時点の自分の能力では客観的に理解できない、という事は理解しました。

勿論今でも、自分と次元の違うプレーヤーから見たら聴けてない訳で、
「よく聴いてくれ」「聴いてますよ」とはならない。


直ぐに簡単に「いや聴いてますよ」と言えてしまうのは、音楽や、それ以外の事でも、ある程度厳しい世界で、もがいて一歩進んだりした時に過去の自分を振り返り、いかに自分が無知だったかに気付く、というプロセスを全く経験した事の無い人達なのかもしれない。




 

無知とは

能力の無い人が、はるかにある人に対して対等どころか上から物を言ったり、批判、否定する。

努力しない人が、はるかにしている人に対して偉そうにする。

経験の無い人が、はるかにある人に対して知ったかぶりをする。


知らない、分かってない、出来ないのは全然いいと思うけど、

……ない事を知らない、というのは本当の無知。
 

素晴らしいプレイヤー、様々なスタンダード

たまに、ミュージシャン達の会話で、日本には素晴らしいプレイヤーが沢山居る、居ない、の類の事を話すのを耳にします。

居る、居ない、素晴らしい、そうではない、、、などと噛み合わないのは話してるスタンダードが違うからだと思います。

ある人はNYの最先端、最高峰、ワールドクラスのミュージシャン達を主に聴いたり憧れていて、世界レベルで通用するプレイヤーは日本には少ない、居ない、の様な表現している。それに対して、あくまで日本のプレイヤーをメインに聴いたりしていて、そこの中でスタンダードが確立された上での表現される意見とは当然合わない。

日本で日本舞踊を観る人と、アフリカで行われる日本舞踊を観てる人同士では話が通じないのと同じだと思うけど、まるでそれを考えた事も無いように見える人も少なくない。

そのスタンダード、物差しの違うところで、良い、良くない、居る、居ない、等と論じても噛み合わない。

本当に会話を進めるなら、どこを見てるのか、どんなスタンダードで話しているのかを意識してないとあまり噛み合わないし、意味も無いとは感じます。 

 
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