ジャズピアニスト Nori OchiaiのBlog

音楽、その他を通して日々感じる事や活動状況。

音楽

無知とは

能力の無い人が、はるかにある人に対して対等どころか上から物を言ったり、批判、否定する。

努力しない人が、はるかにしている人に対して偉そうにする。

経験の無い人が、はるかにある人に対して知ったかぶりをする。


知らない、分かってない、出来ないのは全然いいと思うけど、

……ない事を知らない、というのは本当の無知。
 

素晴らしいプレイヤー、様々なスタンダード

たまに、ミュージシャン達の会話で、日本には素晴らしいプレイヤーが沢山居る、居ない、の類の事を話すのを耳にします。

居る、居ない、素晴らしい、そうではない、、、などと噛み合わないのは話してるスタンダードが違うからだと思います。

ある人はNYの最先端、最高峰、ワールドクラスのミュージシャン達を主に聴いたり憧れていて、世界レベルで通用するプレイヤーは日本には少ない、居ない、の様な表現している。それに対して、あくまで日本のプレイヤーをメインに聴いたりしていて、そこの中でスタンダードが確立された上での表現される意見とは当然合わない。

日本で日本舞踊を観る人と、アフリカで行われる日本舞踊を観てる人同士では話が通じないのと同じだと思うけど、まるでそれを考えた事も無いように見える人も少なくない。

そのスタンダード、物差しの違うところで、良い、良くない、居る、居ない、等と論じても噛み合わない。

本当に会話を進めるなら、どこを見てるのか、どんなスタンダードで話しているのかを意識してないとあまり噛み合わないし、意味も無いとは感じます。 

 

ゴスペル

クリスマス近辺では、ゴスペル曲の演奏させていただく機会がありました。自分としては勿論なんちゃってにもならない、おこがましい申し訳ない気持ちもあるし、よくゴスペルの人達が「適当なジャズコード弾かれてしまうと、、、」と感じてしまうのも知ってたつもりです。

限られた時間の中で出来るだけ準備しようとしたけど、何度も何度も音源聴いてるうちに、NYで小さいチャーチから何千人も入るような大きいチャーチまで行って目にした光景、(いい意味で)凄まじい迫力ある役者の様なプリーチャーの説法、身体揺らし涙流しながら音楽に包まれる人々の姿、その光景が脳裏に鮮やかに蘇ってきて、その音楽にどんな意味があったのか、どのように響いていたのか、届いていたのか、その場で経験した時より今の方がより感じれる、涙の意味を理解できる気がしました。

その時には殆ど何も感じれない様に思えても、後から、何十年も経ってから、より理解できる事もあるのかもしれないです。


ニューヨークで、友人の先生だったジャズサックス奏者が「毎週黒人系チャーチに行くように」と言ってたけど、やっぱりゴスペルもジャズもファミリー、親戚みたいなものだと改めて感じました。




12/9 市川 h.s.trash 配信

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多くのアマチュアの方達が上達できない最大の理由 最終回

では、なぜ大事な事、必要な事、これをやらないと絶対ジャズはできない、というトレーニングをしないのか?

それは、

スイングフィールを感じない、
スイングフィールのあるもの、ないものの違いを感じない、

というのが最大の理由だと思います。 

飲食なら、傷んだものを食べればお腹を壊し、それがどんな事かは誰でも理解できるので、変な物は食べたくない、避けようと思えます。格闘技なら相手の攻撃を思いっきり食らえば痛いし苦しいから、アマチュアレベルでもディフェンスを覚えようと、多くの人が自然に思えます。

でも、自分があさってなリズム感であっても、それを感じる事自体が難しく、辛さや痛みを感じない、感じなければ当然そこをトレーニングしたい、克服したい、なんて思う事もできなく、おかしなリズムでただただ長年弾き続けてしまう、という事になってしまうのだと思います。リズム以外の何かが上達する事はあるのかもしれないです。

アマチュアの方達から聞く情報だと、大抵ジャズのレッスンの内容は理論、フレーズがメインでリズムの基礎を教わってるという話を聴くことはないです。勿論理論、フレーズは大事かもしれないですが、いくらそれらをやっても、肝心のリズムの基礎をやらない限り、本当の意味のジャズの練習は始まらないのではないか、と自分は感じます。

まず、そこを練習しようと思う人が少なく、そして教えられる、教えようとする人も殆ど居なければ、上達するのは非常に困難なのも必然かもしれません。



 

多くのアマチュアの方達が上達できない最大の理由 2

前回は、”一番大事な事をやらないから” 上達しない、という話をしましたが、それはジャズに限らずどんな事にも当てはまる当然の事です。

では何故 ”努力しても頑張ってもできない” ではなく、やらない人、やろうと思わない人が多いのだろう?

一番決定的な事は最後に話しますが、

”やろうと思う意志を持つ事、意欲を持つ事自体が難しい” のだと思います。


ジャズはリズムが大切、という言葉を誰も否定しないだろうし、頭で理解する人は多いとは思います。でも頭で知っているのと、本当に身体で理解している事は全く違います。

口では大切と言えても実際やる人は殆どいない、でも多くの人が上手くはなりたいとは思っている不思議な矛盾があるように思えます。

具体的に自分のレッスン一度でも受けてくれた人に、その大切さを説明したり、分かりやすくデモンストレーションしたりすると、理解してもらえる感じではあるのですが、1回だけ、もしくは2、3回のみで続けない人が圧倒的に多いです。勿論その後自力で向上する人を自分は知らないです。自分の感覚では、ある程度続けようと思える人が1割は居ないです。

そもそも全く始めもしない人はもっと多いと思いますが、しばらく我慢して?続けてみよう、と思える人さえ本当に少ないので、必然的にできるようになる人はとてもとても少ないです。


その”基礎” というものは、1、2ヶ月程でマスター出来るものではないだろうし、逆に2、3回のレッスンくらいで理解して後は自分でできるとしたら、それは天才的な人だけです。

もし天才的なセンスの持ち主だったら、そもそも何年もジャズと無関係の頭ノリでずっと演奏し続けている、という事もないだろうし、それこそ既にリズムの基礎は習得していて、レッスンの必要は無いと思います。

長年ジャズを演奏しているけど、全くジャズらしく弾けない、と感じている人(感じれない人も多い)なら、そのままで何年続けても上達する可能性は極めて低いです。


続けられない理由はその必要性を理解できない、というのがまずあるかもしれないですが、

シンプルなリズムの基礎、そのものが難しく感じる、アレルギー反応を示すような人、複雑なポリリズムや変拍子的な物が必要と勘違いする人、シンプルな事を集中してやる事が嫌だ、と感じる人もいました。


「ノリさんのブログやYouTubeでやってるリズム、難しいんだもん、そういうのイヤー、、、」


自分からすると、

基礎をやらないで何かをやろうとする、上手くなる

事の方が比較にならない程難しく感じます、、、、、











多くのアマチュアの方達が上達できない最大の理由


それは一番大事な事をやらないから。



以前にも書きましたが、熱心なアマチュアの方達は多いと思いますが、根本的な意味で中々上達できない人が多いと思います。


上達って何だ?上達してるぞ!既にこんなに上手いぞ!その辺のプロシンガーより上手いぞ!



などの声も聞こえてきそうだし、上達、ジャズができる、って何だ?という話 になるかもしれないですね。少し正確に言えば、専門家や、ある程度ジャズを感じる人の目で見れば上達しない、という意味です。



何故か ”スイングの基本を身に付ける練習をしないで” それ以外を頑張っているからです。それだと何十年練習やセッション、ライブなどやっても永遠に上達しない、ジャズらしいものに近付ける事はないと思います。



例えると、それは、掛け算の九九を覚えないで数学者になろうとする、野球で言うと、ボールの握り方覚えずに練習や試合を続けるピッチャーみたいなものです。


数学や野球だったら、世の中の殆どの人が、それには無理があり、前に進めない事を理解できます。でも何故かジャズになるとそれを理解する人が圧倒的に少なくなってしまうようです。


せっかく楽器買ったり、練習したり、セッション、ライブなどするのに、それは勿体無い、残念、と自分は感じます。勿論その事を知らなければ残念でもないのかもしれないですが、、、


自分だったら、例えばマラソンで、ゴールの方向が分からず走り続ける事はできないです。東京から大阪を目指すのに、東北を向いて走り続ける事は苦痛に感じてしまいます。


別にプロレベルとか趣味でなど、目指すレベルに関係無く、可能性が全く見えてこないものに時間とエネルギーを注ぐことはとても難しく苦しいのではないか、と自分は思います。

何か一つそれだけ真面目にやってくれれば

ある格闘技指導者が「格闘技だけ真面目にやってくれてれば、あとは何やっていてもいい」と言ってた。

彼のジムに所属してた女子格闘家が、あくまで自分になんとなく入ってきた情報だと、あまり摂生しないで、試合で契約体重を作れない(試合する資格を失う)事が度々あったり、男遊びやホストクラブ?が好きだったり、色々トラブルもあってそのジムを合意の上、円満に?辞めることになったらしいです。


自分なりの解釈だと格闘技を真面目にやる、ということは多くの人が辛かったり飽きたりして逃げ出してしまうようなキツい練習を続けるという事だから、そこで精神力、忍耐力、誠実さ、なども自動的に身に付いていき、それが信用にもなる。

人としても成長してしっかりしていくという事で、言い方変えれば、

格闘技が全て教えてくれる、とも言えると思う。

だから格闘技さえ真面目にやってくれてれば、男遊びしてても、何してもいいよ、と言う事なのでしょう。


勿論格闘技に限らず、ジャズでも何でもよく、何か一つ真面目に少し深く続ければ、その道があらゆる事、人生に通ずる事も教えてくれる。

例えば、先日の”心無い言葉”で触れた内容ですが、いくらど素人の自分でも格闘家と話す時に、気持ちが全く無いのに「今度格闘技教えてくださいよ、、、」と軽くは言わない、言えない、ことある毎に口先だけの言葉を何度も言えたりはしない。
逆にスポーツの選手で、いくら音楽素人でもミュージシャンにそんな風に言う人もいないだろうし、何か一つある程度真剣に続ける、というのはそういう事なのかもしれない。






サインで思い出したけど、

子供の頃、試合前のプロレス会場で、トレーニング合間の休憩中?と見受けられた前田日明に用意していった色紙とペンを持って「サインしてもらえますか?」

とお願いしたら、

「今、トレーニング中だからダメ!」

と厳しく、でも優しく言ってくれて、子供心に、プロの真剣さ、厳しさを伝えてくれた、教えてくれた気がしました。自分にとってはそれがずっと心に残る最高のサイン。

サイン、記念撮影

など、ファンの人達にとっては嬉しい事なのは勿論理解できます。

ジャズも本当に好きで楽しんでもらえて、そういうのもあるなら嬉しく感じますが、今の日本では、ジャズ自体より、そのオマケ的な方がメインみたいになってしまう人達がとても多く見受けられてしまって、そこは1ミュージシャン、1ファンとして正直寂しく感じます。

自分がジャズを始めたガキだった頃、というか聴き始めた頃、東京のブルーノートで有名バンド、2グループのダブルビル公演を観ました。

最初のグループの演奏中、最後部あたりで(立席だったかも?)観ていたのですが、後ろには何と、CDも持っていてよく聴いていて、その日の目当てだったピアニストが後ろで出番を待ちながら静かに聴いてました。

「あ、、、」とは思ったけど、気を使わせたり、気を散らさせたりしてもいけない、などと思い、気が付かなかった事にしました。

その後最初のグループの演奏が終わると、何と彼の方から話しかけてくれました。
「ピアノ弾くんだ?いつか君の演奏も聴いてみたいな」

よくある社交辞令の様なものかもしれないけど、やっぱり本物のアーティストである彼の表情、ニュアンスから、心からの言葉の様に響き、今でも鮮明に覚えてます。

拙い自分の英語にも関わらず、憧れる雲の上のアーティストが、まるで友達みたいにフレンドリー、そして親切に接してくれて、コミュニケーションとらせてもらえた事はずっと大切な思い出、宝物になってます。

その後、彼の演奏を聴いて何が何だか分からない、ただただ圧倒はされたのですが、不思議とそこでまた図々しく話しかけたい、とは思わなかったです。

何故かというと、別に捻くれてるとか、演奏に惹かれなかった、とかではなく、ミュージシャンを一番楽しめる、知れる、味わえるのは、音そのもので、話してみても、それ以上の情報だったり魅力は受け取れないのではないか、と無意識に感じた、彼の演奏からそう思わされたのだと思います。

コルトレーンの音から伝わって来るもの、まるで色々理解してもらえたり、救われる様な気持ちにもなったりするけど、多分本人と話してもそれ以上の何かを感じる事は難しい様な気はします。


勿論会話する事で、より音を感じ易いと思わされる事もありますが、その時はそう感じていた、と思います。









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