ジャズピアニスト Nori OchiaiのBlog

音楽、その他を通して日々感じる事や活動状況。

一般

先日

俺のフレンチ、イタリアンのカリスマシェフの神木亮さんとちょっと飲む機会をいただきました。

22歳で、言葉もできないでいきなり渡仏って、凄いな。
「日本で何も勉強しないで行ってどうする?」などと、何も責任もなく常識的に、一見親切に意見してくれる人達はいても、そういうのに惑わされないで、「フレンチやるのに、フランスに行ってみなくてどうする?」という確信もあったり、というのも才能のうちなんだろうな、と思わされました。
 
音楽のちょっと深いところの話もすぐ理解してもらえるし、逆に料理の事で、音楽にも通じるような事も教えていただけたり、とても有意義な時間でした。

一流のお仕事されてる人って、なんだか自分も素敵な人間になれるような錯覚させてくるような気がします(笑)
神木亮




 

スパルタピア二スト?

SNSで”スパルタピアニスト”と言われて、もうだいぶ時間たっているけど、今だに「スパルタだと思ってたけど全然違いますね」、となどと言われるような事がある。


自分でもあまりその意味は分からないけれど、以前にブログで、お金を取って人前で歌うシンガーとしては考えられないような非音楽的、非ジャズ的行動、マナー、習慣などに対して感じる事を自分なりに発言した事に対しての言葉でしょう。


勿論、ブログを読んでくれて、自分の事をとんでもなく偉そうで勘違いな人間だと思われた方もいるのかもしれない。また逆に、「全然スパルタじゃない、あれは酷いね」と言ってくれてた方もいました。


10人いれば10通りの感じ方があって自然なので、自由に感じてもらえればいい事だし、ネガティブに捉えられても仕方ない。自分にとってはポイントが伝わらずに誤解される可能性も承知のうえで書いているので、それ自体全く驚かないです。


以前、似たようなテーマの事をストレートに発言されてたミュージシャンがいらして、自分の言っていてる事も共通するような部分もあったのかもしれない。ただ、自分なりには、ちょっと違った言いまわし、角度から書きたくて、気をつけたつもりだったけど、「その元祖ミュージシャンの後継者です」と紹介、勝手に認定?までされてしまった。実はその元祖(と言われた)の方とお会いした時に、一緒に写真に入ってください、とも言われ、ちょっと何か感じて一度は拒否してみたものの、強く誘われ断りきれずに写真に入ってしまい、SNSで自分の想像を超えたそのような紹介、使われ方をされました。今の時代は、写真や動画もどこでどのように使われるかも分からない、という事も受け入れないといけなくなってるのかもしれない、と改めて認識しました。


ブログを読んでいただいて、自由に判断、感じていただくのはいいけれど、第三者のSNSでの発言を意見というよりは殆ど事実として受け取ってしまうところからスタートされてしまう事もあるという事、今回は結構思い知らされ、自分としても改めてSNSの影響力、難しさ、風評被害?などについてもちょっと勉強になりました。

昨日、今日

9:4 Boozy
9:4 Boozy 2


昨日はRhythm Challengeで、変拍子なんかあまり今まで聴いた事なかった方も楽しんでくれて、気持ちよかったというコメントくださったり、今日は音楽自体を目的にいらしてない、お食事や会話を楽しみにいらしていたレストランのお客さんが、自然にみんな一体になって音楽楽しんでくれて、自然にずっと手拍子もしてくれてたりして、やっぱりこういうのは仕込みや演技でもないし、ストレートな反応でとても嬉しいな。

9:5

今日共演させてもらった、吉村樹里さん、MCの第一声からもう今日1日ずっと楽しくなる、というのが確信させられるような ノリの良さで、日本語で喋っているのにまるで、英語みたいなフィーリングで最高だった。
自分はどちらかというと、つい共演者感じる方を優先でチャートを読むのはおろそかというか、二の次になってしまい、ミスも多くて申し訳ないけど、そんな自分のミスも笑って、むしろより面白く楽しくしてくれるような樹里さん、ほんとアメリカン、心地よい
ラフさに、こちらもとても自由にさせられ、ニューヨークの音楽経験も思い出しました。やっぱそれがジャズ、アメリカだなぁ!
スタイルは全く違う音楽だったけど、とても有り難い経験させていただいた2日間でした、ありがとう!!! 

ステージ上での暴力肯定する人達に

多く見られる意見で、「彼は音楽も一流で人間も一流、だから問題無い」
というのがあります。

でも違うケース、もし音楽も人間も一流と認めない人間が子供に手を出した時はどうなのか?
多分否定するのでしょう。

とすると、彼ら一人一人がジャッジみたいなもので、この人の今回はOK、あの人はダメ、というように、いちいち何か起こる度に、判決をくださなくてはいけないという事で、彼らのセンスが判断基準になのだろうか?
 

体罰の例外?

一流の演奏家、人格者で愛情もあって親子みたいな関係なら子供を少しぐらい殴っても許される、正当防衛など、正当とされてる理由が無くても殴ってもいいなら、 

同じように 人格者で自分に厳しく判断力もしっかりした人なら飲酒運転もいいという事になるのではないだろうか?事故しなければ全然オッケー、という事になってしまわないだろうか? 


謝ったからもう解決でいいのか

今回の件は報道されてるが正しく、本当に解決である事を祈るけど、

子供が殴られても、報道をただ信じて「子供が謝って反省してるからからもう解決、問題無し、もう騒ぐのはやめましょう」と簡単に言えてしまう大人が多くいる限り体罰のみならず、いじめ、セクハラなどを無くすのは難しいかもしれないと思わされます。

いじめに対して声をあげれずに死んでいった子供達、セクハラに耐える事しかできなかった女性達。
担当の先生も、「いじめられてたとは、本人も言ってませんでした。」
今までこんな事があるの誰でも知ってるでしょう。

弱いものがパワーのある人間、権力に逆らえず声をあげれないかもしれないなんていう想像力は1ミリも働かない、想像力の欠如した大人が多い事に愕然とするし、本当に恐ろしさ感じます。



 

本来は法律でも禁じられてるような行為

に対して、議論の余地はないはず。
例外とされるのも正当防衛、緊急避難の必要性がある時で、勝手で長すぎるドラムソロ、どんなに悪くとっても、暴力が必要、止むを得ない、とされる条件には程遠い。生徒本人が謝ろうと、ふてくされようが関係ない事です。

昔は、というよく聞く意見ですが、分かりやすい例でいえば、
昔は、多少飲酒してみんな運転していた。だからいいのか?

飲酒運転による酷い事故がいくつかあって、ルールが厳しくなったのだと思う。
割合でいえば、圧倒的大多数の人が(優良?)飲酒ドライバーで、多少のお酒を飲んで事故も起こさず運転していたのだと思う。でも、悲惨な事故による犠牲者の事を考え、例外無く厳しくしたのでしょう。
もし100パーセントの人が優良飲酒ドライバーだったとしたら、みんながお酒飲んで運転できる。

体罰もある意味似てるのではないかと思う。
確かに日本では世界的なプレイヤーとリスペクトされ、絶対的に信頼されている人なのだから、子供を殴っても大丈夫なんだ、という人がいるのも分かる。実際本当に600人の前で髪引っ張られ、往復ビンタされても、心に傷を全く持つ事も、トラウマを持って生きて行く心配もない事もあるのかもしれない。

ただ世界的プレイヤーも人間なので魔が差す事はあるかもしれない。どんなに体罰するプロで、豊富な経験があったとしても、もし一歩間違って、殴り方の判断や、冷静さを欠いたりしたら、子供の精神状態がたまたま不安定な状態だったりの場合、 最悪の事態の可能性もある。

飲酒運転のように、殆どの場合は大丈夫だとしても、万が一の犠牲のリスクを排除したい、という事なのだと思う。事故しなければOKではなく、飲んだら運転してはいけない、と決まってる。それがルール。
この先生は体罰OK、この生徒に対してはOKなどとライセンスを与えるなどという事もできない。だから正当防衛、緊急避難の必要性がある時以外の ”時には暴力も必要” は認められていないのではないか、と思う。




 

昔は違った

確かに昔は厳しく叱る人、殴って教える人、本当に教えられる人もいたのでしょう。また書こうと思うけど、自分も体罰は受けたけど、それは悪くなかった。自分にとっては先生が素晴らしかったから。

でも、現在法律で正当防衛、緊急避難を除いて体罰は禁止されてる。だから昔は〜、はどうでもいい。
男尊女卑で不当な女性の扱いを認めらている国もあるかもしれない。でも、今の日本は昔でもよその国でもない。今の日本の法律を受け入れる事ができないなら、もっとふさわしい場所で生きるか、政治家になって法律を変えるしかない。

家族のルールに不満なら家を出るしかない。
誰でも多少は法律、社会のルールに不満はあるかもしれない、でも大勢の人間が共同生活をするならルールを守らないといけないでしょう。

報道の鵜呑み

殴ったりした映像や、本人がインタビューで話した、言葉、表情などは、切り取りはあったとしても、少なくてもその瞬間は真実でしょう。


例えば、報道によると、ドラムの子が反省して謝った、だから解決です。というような意見に対してですが、

そう報道されているけど、それが本当に間違い無い事で鵜呑みにしていいのか。
誰の圧力、脅迫も無しに心から悪いと思っているのか、何百人の前で髪引っ張られたり、殴られたりしたて、恐怖感もあったり、精神的に不安的な状況でとにかく謝ったのか、などは分からない。
もしくは実際は謝ってないのに、そう報道される可能性もゼロではないでしょう。

夢中になり過ぎてソロをやめる事ができなかった、スティック取られて投げ捨てられても手で演奏し続けたような子が、終了後に急に「これからこのイベントが続けられなくならないで欲しい」、というような、まわりの子達の事、イベント全体の事まで心配するような、大人な発言できる事に相当な不自然さを感じました。まるでこのイベントの存続を心配する違う立場の大人を代弁するかのような。勿論これは自分が感じる、というだけの事で決めつけられないですし、事実は分からない事です。

だた、謝ったという報道を鵜呑みにして「謝ったから問題ない」のような意見はあまりに安易に感じられてしまう。

勿論、謝った場合はOK、訴えた場合はアウト、という問題でも無いと思いますが。


極端な例で言ってみれば、北朝鮮の政府関係者なら、上からどんなに理不尽な仕打ちしがあっても謝るでしょう。

極端とは言いましたが、日本も、権威あるところ、知名度や政治力などパワーのある人に右ならえ、大多数の大人達が一斉に暴力を擁護し、詳しい事情も知られてなく、生の声も届けられない立場の子供をまるで犯罪者のように攻めたてるような、今回の件に限らず、似たようなシーンを頻繁に見せられると、あまり遠くないのかな、とも思わされます。







 

文化、音楽的にも

今回の件は本当に日本的だな。
褒めるところと注意、怒るポイント、割合が真逆。
どちらが本物のいいジャズを演奏する人間に育ち易いかは明白だな。
いいところをどんどん伸ばすアメリカと、ダメなところをとことん追求する日本。 
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