ジャズピアニスト Nori OchiaiのBlog

音楽、その他を通して日々感じる事や活動状況。

一般

本番中の子供への暴力について

政治問題から、暴力事件、不倫問題等、メディアの報道に悪意がある、偏り過ぎる事がある、というのは多くの人が思ってる事だと思いますが、 最低限、本番中に演奏する子供に手を出した事、髪を鷲掴みしたり、往復ビンタをしたというのは事実だという前提で自分の思う事を書かせていただこうと思います。 

中学生が音楽的に酷いから、態度が酷いから怒られても仕方ない、と暴力については触れずに擁護する人も多く見かけましたが、"怒られてもしょうがない"と、"本番中のステージ上で殴られてもしょうがない" をごっちゃにしてる人も多いような気がします。 もし本当にその行動を肯定するなら、「あれは本番中にお客さんの前で殴られてもしょうがない」というべきではないでしょうか?


ジャズの音楽的マナー、協調性を教えるのに、お客さんが見てる前で、髪を掴んだり殴ったりというのは、あまりに品が無いし、それを「教育です」というのは自分は理解に苦しみます。 残念です。
そこまでする必要がある、やむを得ないと思えるのは、万引きを繰り返しても全く反省しないとか、陰湿ないじめをやめないような生徒に対してくらいではないか、と自分は思います。



自分は、店主が従業員を客の前で怒鳴ったりするような飲食店には二度と行きたくない。サービス業として失格だと思う。暴力など論外。どんなに従業員の仕事ぶりが酷く同じミスを繰り返そうと、客にはそんな事関係ないと思います。夫婦だとか、特別な信頼関係があるとか、そこに愛情があるか無いかも、客の立場からは関係ないでしょう。

むしろ働かせる時点までに従業員を教育しておくのはお店の責任だろうし、それができていない状態で仕事させる事を決めるのもお店の責任、判断ではないでしょうか。もしその責任もちゃんと取れていない上に、不愉快な方法での指導まで見せつけるなら恥の上塗りで、まともなお店ではまずあり得ない。

従業員の未熟さは店主の責任、恥であって、お客さんに対して、「すみません」という気持ちになる事はあっても、客前での従業員に対する暴力という形で表現されるべきでものではないでしょう。そこで、「命懸けでやってますから」、と言われたとしても、ちょっと的外れです。


なかにはそういった、客の前での暴力による指導を微笑ましく見れる様な人もいるのかもしれないけど、自分には考えられない。ましてや暴力が、ふるう側から肉体的弱者(子供や女性)に対するものだったら、余計に気分悪くなってしまうかもしれない。 

音楽等のパフォーマンスも基本的には同じではないでしょうか。ステージマナーとして論外で、楽しい時間を過ごすために来た客を舐めているし、失礼ではないかと自分は思います。それを教室での教育、体罰の是非の問題とごちゃ混ぜにしてる人もいるのではないでしょうか?


ジャズが分かる人からすればあれは子供が悪いから当然だ、
あんな素晴らしい人が手をだすなんてよっぽどの事があったのでしょう、
音楽に対して純粋、真面目だから、情熱的だから、


のように言い、力を持っている人間を擁護して、弱い被害者を一方的に責め、まるで暴力を正当化してしまう様な意見には強い違和感を覚えます。

もう一度言わせていただきますが、
”怒られても当然だ” と ”お客さんの前で演奏中に殴られても当然だ” は全然違う事です。


それこそ世の中で犯罪者に対して、その知人が
「あんな優しい人が信じられない」なんて意見よくありますが、
だからいい、しょうがない、なんて事にはなるのでしょうか。

完璧な人など殆どいなく、人間だれしも割合はともかく善悪両面を少なからず持っていると思います。凶悪な犯罪者でさえ、100パーセント悪ではなく、純粋に人として素晴らしい面、優しさを持っていて、そこの部分だけを知っている人もいるかもしれないです。反対に多くの人に優しい印象を持たれている人でも、その人のきつい面しか知らない、という人もいるかもしれません。その両面どちらも嘘ではなく、本当かもしれない。

深い付き合いでも分からない事は沢山あると思うけど、「何度かあった事ある、食事をした事あるけど、とても気さくで謙虚でいい人だった、あんないい人がそんな事するなんて、よっぽど子供が悪かったんだろう」と言って、その人を知ってるつもりになって暴力を簡単に擁護し、被害者を悪者に、というのはあまりに乱暴すぎるのではないか、と感じます。逆の立場からなら、「あんなに素直でおとなしい子がソロをやめないなんてよっぽどの理由がある筈だ」と言ってるのと同じようなものかもしれない。どちらにしても一方的な意見だとは思えますが、暴力する側を一方的に擁護する方にはより違和感を感じます。


自分も少しくらいはジャズの事分かるかもしれないですが、素人、しかも子供がした音楽の中でのマナー違反、無礼、自分勝手さと、音楽経験、人生経験豊富な大人による、お客さんの前での音楽パフォーマンス中の暴力は、全く次元の違う事です。



自分の教室などのプライベートな場での愛のスパルタ教育とお客さんのいるステージ上のパフォーマンスを混同していいわけないでしょう。


もし音楽的態度があまりにも酷い場合に暴力が情熱、純粋さという言葉で正当化されてしまうなら、港区、中央区界隈でのヴォーカルギグでは、怪我人続出、警察沙汰の連続になってしまうかもしれません。音楽的にとても失礼なシンガーがいたら髪の毛を掴んで引っ張ったり殴っていいかどうか、そこに愛や情熱があれば、それが生徒に対してならいいのか、特別な関係だったらいいのか? それこそ子供でも分かる事です。少なくてもステージ上では駄目でしょう。相手が大人、子供、男性、女性などに関係無く許されないと自分は思います。

誠意

誠意のない人は、謝り方も下手というか謝る事でさらにマイナスにしてしまう事も多いと思う。
ついすぐ嘘って分かってしまうような無理のある余計な言い訳とかしてしまうけど、それだったら何も言わない、謝らない方がいいような気もする。
 

ジャンルなんてない?

よく『音楽にジャンルなんて無い!』みたいなフレーズを聞くけど、ホントにそうかな?
自分は音楽でも、料理でも、スポーツなど、ジャンルやスタイルの違いがあって、そこも楽しんでると思う。みんなが何でもこなす器用なミュージシャンばかりなっでも詰まらないだろうし、そんな必要もあまり無いのではないだろうか? 勿論混ざる、混ぜる面白さもあると思うけど、かなりのレベルで何か確立された上でじゃないと、やっぱりちょっと安く説得力にも欠けてしまうような気はする。

年配の黒人ミュージシャンとも『人間だってみんな仲良くなり過ぎたら、黒も白も無くなって、みんなブラウンになっちゃうな』と話した事あるけど、やっぱり違いあるから、それぞれの文化を楽しむ事ができるのではないかな、と思う。違い、とか個性とかは面白いと思う。

あれ、? K-1観戦

K-1 2009
たまに深夜に昔の日本の格闘技をyoutubeで観る。
2009年グランプリ。
アリスター、バダハリの試合が終わって客席がアップになると、
あれ、一瞬何か見覚えのある顔。気のせいなのか? 
チェックしてみるとやっぱり昔付き合った彼女だった。

当時格闘技なんか怖くて、痛そうで観れなかった彼女に、自分がテレビで格闘技観戦の手ほどき?をした。顔背けようとしても無理やり見せたり、、、
その後彼女はすっかりはまり、チケット買わされて会場で観戦する事にもなったり、、、

自分がニューヨークでサヴァイヴしている時に、リングサイドで優雅にいいなぁ。
その光景を今日本で、ふと深夜に発見。
人生とか時間ってなかなか面白い。


 

人に笑われる事をする!

34 AM
17 AM
日本の格闘技ブームの土台を作ったと言ってもいいような空手家、佐竹雅昭さんの話が面白かった。

中学生の佐竹さんが我流で木をずっと蹴っていたら、通りがかった空手の先生が「ちょっと構えてみなさい」と言って構えさせ、いきなりホントの空手の蹴りバシッ!
痛みと共に教えてくれたそうです。

そして、
「君は将来何になりたいんだ?」
『牛を殺す人です!』
「、、、、、他は?」
『空手日本一です!』
「ああ、それだったら君なれるよ」
「なんでなれるか教えてあげよう。君は人に笑われるような事をやってるからなれるんだよ」
「誰もやらない、人にバカにされて笑われるような事を君はやってるだろ。それをずっと貫き通せば、一番になれるのは当たり前だよ」

人を笑ったりバカにするのは簡単だけど、笑われるような事を貫ける姿は素敵だなぁ。
 

Apple認定変態国Japan?

アメリカで携帯として使っていたiPhone4Sを日本帰ってきてからはずっとipodとして使っていたけど、遂にタイピングに時間がかかり過ぎたりして役目を終えてもらい、日本でiPod touchを購入。

すると、消音にしても、写真を撮るときにバカでかいシャッター音が、、、 
そういえば、アメリカのiPhoneで写真を撮ったりする時に音がでないですね?とよく言われたのを思い出しました。あまり気にとめてなかったけど。

そうか、日本は盗撮とかする変態の方がいるから、シャッター音を消せなくなっているのかな? 
何か複雑だなぁ。でも、もし世界中で日本のapple製品だけがシャッター音消せなくして販売されてたら、ちょっと情けないというか、どうなんだろう?
差別とかに過剰に反応する人にも、それはまた問題のような気もする。
 
もしシャッター音しないiPhoneが必要な場面のある方がいらしたら高価でお譲りさせていただきますので、ご連絡ください! 

俺のアプリ

俺の
自分も出演させていただいている、話題の俺のシリーズ、俺のイタリアン、フレンチ、やきとり、割烹などのお店情報、メニュー、ライブスケジュール、出演者情報などが簡単にチェックできたり、予約もできるアプリケーションができて、とても便利です。
お料理も素晴らしく、毎日多数の実力あるミュージシャンが演奏してます。スマートフォンをお使いの方は是非チェックしてみてください! 
http://app.appcapsule.com/market/link?appli_id=8600516001 

忘れた頃に

確か昔のジャズミュージシャン、どなたかのクオートで、
「不幸以外の何物も求めなければ、わずかばかりの幸福が訪れるかもしれない」 というのが
あった。

練習なんかもやっぱりちょっと似たところあるように思える事もある。


こんな事絶対無理だ、できるわけないな、と思いはしながらも、しばらくがむしゃらに練習してみる。そして、やっぱり自分には無理だな、と思いやめてしまう。でもそんな事も忘れた頃に、自分でも気が付かないうちにそれを弾いてしまっている事がある。

あるいは、こんな事絶対無理だな、と思っていてトライすらしなかった事が、ある日には、「いや、できるかもしれない」に変わっている事もある。初めの時点では自分とは繋がって見えなかったけど、そこが何とか見えるようになるまでの必要なツールを回って回って回って身に付けた時にそう感じれるのかもしれない。


いずれにしても、過去にもがいていた時の自分からの、忘れた頃のささやかなプレゼントかもしれない。

 

さいたまスーパーアリーナ

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様々なドラマ、ストーリー、バックボーン、歴史を背負った人間同士が、リング上で相対する。
試合時間がわずか6分くらいだとすると、約1日の1/240、1年の87,600 , 80年生きるとしたら、人生のたった1/7,008,000, たった約1/700万だけ交わる、すれ違うのか、、、 そこでもの凄い化学反応が起こる。

このたった一瞬、だけど恐ろしく密度の濃い一瞬のためにどれだけの事を犠牲にしてきたのか、どれだけ泣いてきたのか、どれだけ戦ってきたのか。

超一流のファイター達が入場しただけで、お腹いっぱいになるし、涙が止まらない、、、

音楽でも、他の世界にも似たような事を感じるけれど、そういう超一流の人間が登場すると、会場の空気が一気に変わってしまう、何か神聖な空気になる。それを見守る多くの人間達が同じように感じて、空気を変えてしまうのだろうか。そして期待感で会場が破裂しそうになる。その時点でもう両者勝者で戦わなくていい、とさせ感じさせられてしまう。こういうところはテレビでは絶対に感じられない、その場の空気だけが教えてくれるのだと思う。

そして、本当に命がけで苦しみ抜いてきた人間にしか魅せる事のできない、安堵も混ざった勝利の笑顔。
本物のアートで、涙無しに見れないな。


今日も素晴らしい感動をありがとう!!!






 

ふさわしくない環境

我慢、というのも確かに大事で、特に日本ではその我慢が重んられたり、美徳とされるところがある。
でも、あまりに自分にとって相応しくないと思われる環境、仕事、人間関係にはどこかで諦める必要がある事もあると思う。 それを切らないと、もっともっと相応しい新しい人、環境との出会いが訪れるスペースが空かないから。
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