ジャズピアニスト Nori OchiaiのBlog

音楽、その他を通して日々感じる事や活動状況。

一般

ニュースで、

ネットのニュース記事で、昔一緒に仕事させていただいた方の名前が良くない形で目に入ってきました。
名前が知られてるとそういう時も大変だな。

人それぞれの人生、色々な流れ、出会い、ペースなどあると思うけど、やっぱり残念です。しっかりやり直して頑張ってもらえる事を強く願います。 

井上尚弥凄すぎ

20230725-OYT1I50206-1
We sometimes overuse the word  "greatness" in Boxing,
not here not now. That is greatness,
greatness!!!  
(実況アナウンサー)


観ました。
懐かしくも感じた。

今回は色々な専門家の話もチェックしていて、サイズが上がると流石の井上でもそう簡単には、、、と言う内容をよく耳にしたから、そういう心構え、先入観は持っていたけど、その専門家たちの予想、常識も大きく上回るとは恐ろしいです。もう井上尚弥に関しては専門家の話も信用しなくてもいいな、と思わされました。


ボクシングは難しいし分からない事しかないけど、それでもやっぱり感じさせられた事はあって、何より伝わってくるのは、とにかくとんでもない集中力。

ボクシングがそういう競技なのか、レベルが凄すぎるからなのか、そう簡単には隙はできそうになく、僅かな可能性、チャンスを我慢強く待ったり、引き寄せるのかな、? 本当に針の穴に糸を通そうとする感じかもしれないけど、それでいて少しでも気を抜いたらやられてしまう様なヒリヒリする空気で、観てるだけでも大変です。


頭は、程良い緊張感と冷静さで、身体はリラックスしているのだと思いますが、そこが凄い次元でバランスされているのではないか、と思います。

戦いではあるけど、美しいな、とも感じました。あれだけの緊張感ある空気を作るには共演者(対戦相手)にも恵まれないと無理だろうし、二人のダンサーが踊ってるような気もさせられ、そういう美しさを感じました。


懐かしいと思ったのは、NYで世界最高レベルのミュージシャン達の演奏を日常的に間近で感じていた時の、やっぱりボクシングのチャンピオン達にも匹敵する、全く変わらない様な集中力、リラックス具合、冒険心、慎重さ、そんなのを思い出されて、

ボクシングも素晴らしいけど、やっぱりジャズも素晴らしいな!

と、誰にも納得してもらえないかもしれないかもしれないエンディングですが、そう思ってしまいました。

最高の戦いで魅せてくれるファイター達に感謝したいです!












 

自分の意見を言わない言えない、同調圧力、違い、個性を嫌う

結局のところ、違う意見を聞きたくない、人の目を気にしたり自信が無いので自分では言えない言いたくない(代わりに誰かに言わせたい)人、同調圧力等が日本にはとても多い、大きいという事かなと思います。

一言で言えば自分がなく幼稚、という事になってしまい、日本のそういう部も、ジャズの深いところを感じる、楽しむために大きな壁になってしまっているのかもしれない。
 

熱が入り圧力の強い応援、同意、リクエスト

日本のジャズのおかしく感じる事など、物議を醸す様な内容を書くと、メッセージなど沢山くれて、地方の状況はもっと酷いとか、色々教えてもらえて、興味深かったりして有難いです。
 
ですが一方で、怒りの感情などを伴いながらもっと言ってやってくれ、やっつけてやってくれ、というようなニュアンスにものもあり、申し訳ないですがその期待には応えられないです。
 
自分は個人的感情があって書いてる訳では無いですし、もしそう言う感情があるなら書くべきでないと思ってます。もしそうだといくら内容が正しいとしても読む人を不快にするかもしれないし、伝わらなく意味が無いからです。
 
そんな大それたものではないですが、何か少しでも良くなってくれるといいな、という気持ちでは書いてます。
 
勿論そう受け取られない事もある事も理解しています。
 
酷いと「具体的にもっとこう言う事を書いて欲しい」と言われる事もあり、そこは触れる気の無い事を伝えると、気分を害される事もありました。
 
そこまで思うならご自分で発信したらいいと思うのですが、何故かそれはしなく、誰かに(自分の思い通りに)代弁してもらいたい、と思う人達もいるみたいで、ホントに色々な人が居るな、と思わされます。

そのライブに行けません!

という投稿と、それに対する「残念です、またの機会にお願いします」というのをSNSでよく見かけます。
人間関係の深さ、種類、タイミングなどによって意味、ニュアンスなども変わってくるかもしれないけど、いずれにしても、行けない事を伝えたい人はミュージシャンが想像する以上に多いような気がします。
 
自分の経験で言えば、一度もライブ来ていただく事はないけれども、何度も“行けない“というメッセージはくれる人達もいらっしゃって、それが個人的に直接お誘い、案内などでもなく、ブログやSNSなど見てくださっての反応で、メッセージのやり取りが目的なのでしょうか?、と少し謎はあります。
 
丁寧に伝えたい、というお気持ちからかもしれないですが、実際の演奏始まってからだったり、開始直前に“行けません“というDMくださったり、「予約なしでも入れそうか店内の様子を教えてください」と直前に連絡くれる方もいらっしゃいます。
 
「駅に着いたけどよく道順がよく分からなくて、教えてもらえますか?」と開始直前に連絡くださる方など。

その他ドタキャン、お店へ連絡無しドタキャンなども、
 
ミュージシャンが誰かのライブ見に行く時、スポーツ選手の試合観に行く時、親しい友人でもそうでなくても、なかなか取らない行動で想像できないのですが、思った以上に色々な方がいるんだな、とは改めて思わされます。

SNS誹謗中傷と有名人

ここ10年くらいかな、もういくつか事件があって、深刻な問題になってるけど、いつまで続くのか、何か歯止めは効かないのだろうか?


日本は自殺者も多いし、精神的に病んでしまう要素が社会に多いのかもしれない。 

規模が小さすぎて恐縮ですが、自分のブログに対しても分かりやすい現象があって、それは、

匿名(顔も名前も出さない、分からないアカウントから)で素人が(内容からの推測で)専門家に偉そうに上から意見し、 否定してくる、というものです。

「お前なんか誰も知らない、誰も読まない」と、匿名の方に色々否定されたのは少し面白かったです。

でもこれって、常識や冷静さがあったらできない事、 無くても面と向かってはできないかもしれないけど、それがネット、匿名となった時点で、弱い人間が急に最強になったみたいな気分になれて、できてしまうのかもしれない。

ネットドーピングという凶器、狂気、とでも言うのが分かり易いのかもしれないけど、何かそう言うもの必要としてしまい、何かを満たす、バランス取ろうとしてしまう人が少なくないのかもしれない、と感じさせられます。

苦労する人にとっては勿論簡単ではないのだろうけど、受ける側の立場としては、気にしない、という手しかないかもしれなく、それが難しければ今のところはやらない、という選択を取るしかないと思います。

最後に、ある人の言葉で自分にも言い聞かせたい事です。

弱いものは復讐する
強いものは許す
賢い奴は無視する



 

ひたすらTakeばかり重ねる

世の中には、GiveとTakeのTakeばかりを重ねる人っているように感じます。

分かりやすいとこでは、自分とギグをやろうとする時に、メンバーは自分の共演者、場所は自分が出演しているところ、and so on.... とリクエストしてくる、鈍感なので、その時は気付かないのだけど、考えてみると自分の関係しているものばかり、になっている、そんな事もありました。

普段自力では、アクセスできない人、場所、物、など、人の力を借りて、という事になるかもしれなく、勿論多少なりとも皆誰かに頼ったり助けられて生きていくのだろうけど、あまりにあからさまに重ね続けてしまうと、それはまるで、お金持ってるお父さんの力でなんでも欲しいおもちゃを手にしようとする子、何でもお母さんがやってくれる子、みたいにも映ってしまう。

学んで成長する子供なら、そこからも変われるかもしれないのだけど、既に大人になっていて、それを無意識に続けられる人ってなかなか変わる事は無く、ただそれを続けていくのかもしれない。


そして残念な事に、Takeばかり重ねる人達というのはその自覚も感謝もなく、それが自然で甘える事が当り前になっているので、仕事や気持ちで何とかして応えようとするどころか、不義理の様な事も平気で繰り返してしまうのではないかと思います。

よほど神に近いような、あらゆる理不尽な仕打ちは想定し受け入れられる覚悟もあって、少しの見返りも求めずに惜しみなく力は貸せるような、そんな人間でないなら、残念ながら、Take屋とは関わってはいけないのかもしれない。

 

偏向報道


テレビが信用できない事には、もう多くの人が気付いてるとは思うけど、まだまだこんなに酷い事が起こってらしい、、、

ワクチン接種直後に亡くなった遺族が、まるで感染して亡くなったようにしか受け取れないように報道したみたいです。

ご遺族の立場から考えると、許されないくらい悪質だと思います。

普通に視聴したら、これを見破る事は難しいと思うので、もう全て疑ってかかっておくか、観ない、という選択になる気がします。

RIZIN LANDMARK5 感想

やっぱり、強い選手、かっこいい試合する選手は、強い人間、かっこいい人間。
逆に言うと、強い人、かっこいい人が、そういう試合する。

という事を強く感じさせられた。

結局ジャズの演奏と全く同じだと思います。

反復練習、体力作り、知識を積むことなどは、多くの人が、正しいいやり方でやれば、確実に向上させる事ができるだろうけど、勝負度胸、覚悟の決まり具合、自信と共に前に進む気持ち、ひっくるめてそれに向いてる性格、その辺はやっぱりその人自身が元々持ってるもの、というものが大きく影響するものかな、と感じます。言い方によっては“才能“ という一言になるのかもしれないですが。


そしてもう一つは、いくら素晴らしい選手でも、対戦相手によっては完全燃焼てして素晴らしい作品を作るという事は難しく、1対1の格闘技でありながら、チームプレイであるジャズや、その他お笑いや芝居など、共演者に恵まれる大切さにもそのまま通づる点があって、そこも面白いなと思わされました。

それにしても、長い期間懸けて多くを犠牲にして準備し、試合での大怪我などで日常生活やその後の人生で付き合わせるかもしれない後遺症など、大きなリスクを懸けて戦う姿がら、毎回心に語りかけて教えてくれるものは大きいです。ありがとうございました。

 

残念な記者の質問

格闘技の試合後インタビューで、特に敗者へ質問、相変わらず酷いな。
一言で表現してしまうと、

人の心がない 、
なさすぎる。

昔からワイドショーのリポーターの低俗な質問や品の無さ、酷すぎたと思ったけど、根本的にはそういうのとあまり変わらない。

オリンピックなどもそうだけど、敗者がどんな心境か、どれだけの事を犠牲にして全てを賭けて臨んで、その結果を受けて、現実を突きつけられてどんな気持ちになるのか、1%でも想像する事ができれば、と思うけど、本当に涼しいトーンで、敗者の傷にさらに塩を塗り込むような質問、よくできるなぁ、と思います。

そんな質問に、一瞬固まったり、苦笑いしたり、もう慣れてしてまって何も感じない様に見えたり、大人過ぎる態度など、様々な選手がいるけど、そんな姿にも心が痛むし、変わりに謝りたい気持ちにもさせられる。


何十年、間近で選手達に触れて仕事していても、そんな人が少なくいみたいだけど、最低限の想像力が必要だと思うし、人としての頭の良さ、資格が必要な仕事ではないか、と思います。
 
何か厳しい世界で真剣に挑んで、それでもまたボコボコにされて這い上がって食らいついて、っていう様な経験など皆無なのだろうし。

経験しないで、身体で知らないで、理解する、深く理解するって本当に難しい。

身体で知ってる事、心で分かっている事と、頭で知ってる、頭で考える事の違いすら知らない人って多いのかな、と思わされます。

 
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